2023年07月20日

小倉美惠子『諏訪式。』


諏訪の風土や歴史・文化に興味を惹かれた著者が、さまざまな角度から諏訪の独自の魅力に迫ったノンフィクション。「近代ものづくり編」「近代ひとづくり編」「土地となりわい編」「科学と風土編」の全4章に分かれている。

諏訪では、江戸時代の地場産業から近代の製糸業、戦後の精密機械産業からIT、メカトロニクスと言われる現在に至るまで、その主体は地生えの諏訪人たちであることに驚かされる。
製糸業は蚕の生態に人が寄り添う「農的」な側面と、人間の欲求・欲望を原動力とする市場経済に則った「商工業的」側面の二つを持ち合わせている。
日本の水田といえば、だだっ広い平野に広がる田園風景を思い浮かべるが、平地の水田は近世の新田開発によるもので、水利技術の向上がもたらした成果なのだ。山の高低差を利用して湧水や沢の水を引き込む谷戸田や棚田といった小さくて不規則な形の田んぼの方が古い。
かつて、原料のテングサ類は伊豆の海から上がり、「塩の道」と同じ経路をたどり、駿河岩淵から甲州鰍沢まで富士川舟運で上り、陸揚げされると馬の背に負われて諏訪まで届いたという。
長野県は、疲弊した農村の救済策という体で、満蒙開拓青少年義勇軍(満蒙開拓団)を積極的に推進したが、その中心を担ったのは皮肉にも信濃教育会だった。

下諏訪温泉にある島木赤彦の「恋札」の話もおもしろかった。近代短歌の世界においても、諏訪は重要な土地なのである。

土着の文化と外来の文化、古い価値観と新しい価値観をどのようにミックスさせるかという問題意識が、著者には常に働いている。

自文化を「過去の遺物」としか見られず、そこに何の価値も見出すことができなければ、それは地に着いた自分の「軸足」を放棄するに等しいことなのではないだろうか。土地に根ざした自分たちの文化や、ものの見方を失い、一方に同化、吸収されることを意味するのではないか。
先住者は、次元の異なる文化を持ち込む外来者によって、駆逐、あるいは滅ぼされてしまうことが多い中で、外来の民である建御名方側は、先住の民を攻め滅ぼすことなく、先住者の祀る神を尊重し、その文化を駆逐することがなかった。土着の洩矢神も吸収されて同化するのではなく、軸足を譲ることなく外来者を受け入れたのだろう。

こうした問題意識は、経済や文化のグローバル化がますます進む現代において、とても大切なものだと思う。

ただ、「三協精機」も日本電産の子会社「日本電産サンキョー」となり、今春から「ニデックインスツルメンツ」に名前が変った。諏訪のアイデンティティの象徴であったスケート部も昨年廃止されている。そうした経緯を見ると、「諏訪式」もまた大きな岐路に立たされているのかもしれない。

2020年10月2日、亜紀書房、1800円。

posted by 松村正直 at 07:38| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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