観音力は火中にあつても焼亡せず、海中にあつても溺没しないといふ経文そのまま
と茂吉が書いているのは、「観音経」の次の箇所を指している。
https://www.zen-essay.com/entry/kannongyou
仮使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池
(たとえ害意を興され、大なる火の坑へ推し落とされるも、彼の観音力を念じれば、火の坑は変じて池と成る。)
或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没
(或いは巨海に漂流して、龍や魚や諸鬼の難あっても、彼の観音力を念じれば、波浪に没すること能わず。)
「観音力」という言葉は、ここに由来しているのであった。火にも水にも負けない強い力である。
そもそも浅草観音は、言い伝えによれば今から約1400年前の飛鳥時代に、隅田川で漁をしていた兄弟が網に掛かった仏像を祀ったことに始まっている。つまり、「水」に負けない力である。そして、関東大震災では「火」に負けないことが示された。
それが、東京大空襲で覆されてしまったのである。そこから「浅草の観音力もほろびぬ」という言葉が出てきた。
もっとも、茂吉自身は観音力が滅びたとは思っていない。「西方の人はおもひたるべし」、つまり西洋人はそう思うだろうと言っているに過ぎない。
前回引いた随筆「観音経と六区」の続きには、こう書かれている。
欧羅巴のいづれの大都市にも、殆ど必ずこの浅草的なローカルがある。久しぶりで田舎から帰つて来た自分は、この浅草に無限の愛惜を感ずる。さういふ意味で観音力は滅びないからである。
土地に根差したローカルな信仰や精神、地霊といったものは、敗戦くらいのことでは失われないという思いであろうか。
戦後、本堂や五重塔が再建され、初詣には毎年約280万人もが参拝する浅草観音。今ではインバウンドにも人気の観光スポットになっている。75年前に茂吉が残した「観音力は滅びない」という予言は的中したと言っていいのかもしれない。