浅草の観音力(くわんおんりき)もほろびぬと西方(さいほう)の人はおもひたるべし
斎藤茂吉『つきかげ』
昨日、中村さんがコメントをお寄せくださった通り、この歌については塚本邦雄が『茂吉秀歌『霜』『小園』『白き山』『つきかげ』百首』で取り上げて、
霊験あらたかと言はれて来た浅草寺の、純金一寸八分の聖観世音も、日本の敗戦を防ぐ神通力は持つてゐなかつた。
と書いている。つまり、塚本は「浅草の観音力もほろびぬ」を、日本の敗戦を防げなかったという意味に受け取っている。
私は少し違う考えを持っていて、これは浅草寺が空襲で焼けてしまったことを指しているのだと思う。
1945年3月10日の東京大空襲で浅草寺は大きな被害を受け、旧国宝の観音堂(本堂)も五重塔も焼失した。秘仏の本尊は避難して無事だったものの、22年前の関東大震災で奇跡的に残った建物が今度はすべて焼け落ちてしまったのだ。
茂吉の歌は、おそらくその事実を詠んでいる。
なぜなら、1948年に茂吉の書いたエッセイに、次のような箇所があるからだ。
壮大な浅草寺も仁王門も無くなつて、小さい観音堂が建つてゐた。(…)五重塔も無くなり、二基の露仏、鐘楼を前景にして、対岸の麦酒会社まで一目で見えるまでになつてゐた。(「浅草」)
関東大震災の時には、仲見世まで焼けたに拘らず、仁王楼門も本堂も焼けなかつた。そこで観音力は火中にあつても焼亡せず、海中にあつても溺没しないといふ経文そのままだと思つてゐたが、焼ける物は焼けるといふことになつてしまつた。(「観音経と六区」)
関東大震災では焼けなかった浅草寺が東京大空襲で焼けてしまった。そのことが、茂吉に多大な衝撃を与えたのである。