2023年07月14日

浅草観音(その2)

短歌の世界で浅草観音と言えば、斎藤茂吉だろう。

14歳で上京した茂吉がまず住んだのは浅草であった。「浅草医院」を開いていた斎藤紀一方に寄寓したのである。

その頃の浅草観世音境内には、日清役平壌戦のパノラマがあって、これは実にいいものであった。東北の山間などにいてはこういうものは決して見ることが出来ないと私は子供心にも沁々しみじみとおもったものであった。(「三筋町界隈」)

こうした少年時代から戦後の最晩年に至るまで、茂吉と浅草観音には深い結び付きがあり、歌にもしばしば詠まれている。

あな悲し観音堂に癩者ゐてただひたすらに銭欲りにけり
             『赤光』
みちのくより稀々(まれまれ)に来るわが友と観音堂に雨やどりせり
             『ともしび』
浅草の五重の塔をそばに来てわれの見たるは幾とせぶりか
             『石泉』
浅草のみ寺に詣で戦にゆきし兵の家族と行きずりに談(かた)る
             『寒雲』
浅草の観音力(くわんおんりき)もほろびぬと西方(さいはう)の人はおもひたるべし
             『つきかげ』

最後の歌は茂吉が戦後に疎開先から東京に戻って詠んだ「帰京の歌」(1948年)に入っている。この「観音力もほろびぬ」とは、どういうことを意味しているのだろうか?

posted by 松村正直 at 07:33| Comment(2) | 斎藤茂吉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつもブログを楽しみに拝見しております。最後の一首、塚本邦雄は『茂吉秀歌』で「霊験あらたかな浅草寺の、純金一寸八分の聖観世音も、日本の敗戦を防ぐ神通力は持つてゐなかつた。西方の人、ナザレのイエス、天なるキリストも、さう呟いて東方を眺めてゐるだらう」と解釈しているようですね。茂吉の真意がどうだったかはわかりませんが…キリストが出てくるのは少し唐突な気もしますが…。そのあと、「西方の人」は西方極楽浄土の人という意味で仏陀と読んでもよい(そう読むとよりグロテスク)、とも書いていました。
Posted by 中村 at 2023年07月14日 10:41
中村様、コメントありがとうございます。
塚本邦雄の本は次回ちょうど引用する予定でした。この塚本の解釈にちょっと異議を述べたいというのが、そもそもの目的なのです。引き続き、お読みいただけましたら幸いです。
Posted by 松村正直 at 2023年07月14日 11:11
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