2014年から2018年の作品を収めた第6歌集。
タイトルはラテン語で「灰」の意味とのこと。
水の辺に立つたまま食ふにぎりめし手についためしつぶをつまんで
百葉箱のなかに住みたし。するすると縄梯子など上げ下ろしして
彼女いまもあなたのこと好きよ――妻が言ふいたくしづかなこゑで
川むかうのマンション暗しベランダに莨火ひとつともるしばらく
旧街道に離合しあぐむ自動車のつやつやとして互みをうつす
まどかなる秋のいちにち老いびとの円環に入る語りさぶしも
へいわのいしずゑといふ言説のひとばしらのごときひびきをあやしむわれは
松本市大手にありしジャズ喫茶は裏からの貰ひ火に焼けてしまひぬ
塔のうへのひとひらの雲の消えしのち見あげてゐたるひとがふりむく
もうわすれてくださいといふこゑなどもありありとみみのそこにのこれる
1首目、水と白米と手だけのシンプルな描写から身体感覚が伝わる。
2首目、かわいらしいファンタジー。三句以下の具体が印象に残る。
3首目、ダッシュ部分の空白に、何とも言えない気まずさを感じる。
4首目、川辺なのでまさにホタルみたい。遠くからでも見えるのだ。
5首目、下句の描写から、古い街道の細さがありありと感じられる。
6首目、同じ話を繰り返す様子を「円環に入る」と表したのがいい。
7首目、死者たちは誰も、平和の礎になどなりたくなかっただろう。
8首目、城下町とジャズ喫茶の取り合わせに時代や雰囲気を感じる。
9首目、しばらく自分だけの世界に入っていた相手と、再び出会う。
10首目、忘れることができずに、声だけがいつまでも残っている。
2023年6月8日、六花書林、2400円。