2023年06月19日

司馬遼太郎『街道をゆく16 叡山の諸道』


初出は「週刊朝日」1979年10月19日号〜1980年3月28日号。

比叡山の延暦寺で行われる法華大会(ほっけだいえ)を見学するために来た著者は、日吉大社、赤山禅院、曼殊院門跡、横川、無動寺谷などをめぐりながら思索を深めていく。

子規と最澄には似たところが多い。どちらも物事の創始者でありながら政治性をもたなかったこと、自分の人生の主題について電流に打たれつづけるような生き方でみじかく生き、しかもその果実を得ることなく死に、世俗的には門流のひとびとが栄えたこと、などである。
江戸幕府は、天皇家に親王がたくさんうまれることをおそれた。それらが俗体のままでうろうろしていたりすると、南北朝のころのように「宮」を奉じて挙兵するという酔狂者が出ぬともかぎらず、このため原則として天皇家には世継ぎだけをのこし、他は僧にし、法親王としてその身分を保全したまま世間から隔離することにした。
かつて木造であったものが、一見木造風のコンクリートに模様がえさせられる場合、実体であるよりも実体の説明者(ナレーター)の位置に転落させられてしまうことを、建てるひとびとは考えてやらないのではないか。

話題は次々に連鎖し、時に脇道に逸れたりしながら、縦横無尽に広がっていく。そこが面白い。

ときに唐は、晩唐の衰弱期で、かつてあれだけ世界の思想や文物に寛容だったこの王朝が、仏教に非寛容になり、土俗信仰である道教を大いに保護しはじめていた。多くの理由があるにせよ、国家が衰弱して力に自信がもてなくなると、かえってナショナリズムが興るということであるのかもしれない。

この文章など、40年以上も前のものなのに、近年の日本のことを言っているようにも読める。そうした時代を超える力を持っているからこそ、「街道をゆく」のシリーズは今も読まれ続けているのだろう。

「週刊朝日」は先月で休刊になったところだけれど。

2008年11月30日、朝日文庫、580円。

posted by 松村正直 at 21:21| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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