やす子は初め与謝野晶子・寛の指導を受けて「明星」風の短歌を詠んでいたが、後に斎藤茂吉に師事し昭和以降は「アララギ」の数少ない女性歌人として活躍した。戦後はアララギの地方誌「高槻」にも歌を発表している。
歌集は1921(大正10)年刊行の『内に聴く』と1941(昭和16)年刊行の『樹下』の2冊がある。前者には与謝野寛、後者には斎藤茂吉の序文が付いている。
大正期のやす子は関西の社交界でも知られた存在で、短歌だけでなく絵画や音楽、手芸など多くの趣味を持っていた。『内に聴く』には短歌以外に、やす子の写真1葉、油絵4点、素描4点、木版2点が載っている。
この歌集に温泉を詠んだ歌がある。「夜の泉」と題する6首だ。
浴室へ長き廊下を降(お)りゆきぬ星美しき深夜にひとり
ゆたかなる思ひに満ちて春の夜の山の湯殿に衣(ころも)をば脱ぐ
よろこべりわが魂は夜の湯に人魚の如く女王(ぢよわう)の如く
湯の泉をどるが如く光つゝ白き腕に口づけぞする
春の日の山の湯槽に現(うつ)し身の光れる我を愛でにけるかな
美くしく葡萄色する夜の空湯槽にありてわが仰ぐ空
ややナルシシズムが強いけれど、「明星」の系譜らしい美しい歌である。「女王の如く」という比喩やお湯が「口づけ」するという表現、夜空の「葡萄色」という形容など、なかなか印象深い。
舞台がどこの温泉かはわからないが、最後の歌を読むかぎり露天風呂もあったようだ。
宝塚の機関誌「歌劇」の大正12年12月号には、演芸評論家・正岡容が詠んだ「土耳古風呂〜宝塚温泉譜〜」と題する温泉の歌7首が掲載されています。想い人だった当時のスター・初瀬音羽子と別れさせられた傷心の歌で、そのうち「土耳古風呂よりかなしきはなし」で終わる後半の3首は拙著の中でも紹介しましたが、前半にはこんな歌がありました。
遠つ世の騎士も入(い)るらむきみに似し佳子(かこ)も入るらむ土耳古風呂はも
アルマ=タデマの描く浴場で、若い騎士と乙女が混浴しているようなイメージですね。
土耳古風呂物語めく湯ぶねあり窓ありこゝに君とかくれむ
万葉集巻七にある「海(わた)の底沖つ玉藻のなのりその花 妹と我れとここにしありとなのりその花」を想起しました。
ネットで「AERA」のインタビュー記事、拝読しました。写真も良かったです。
ついでながら正岡容の残りの2首はこんな感じでした。
杢太郎(もくたろう)ごのみのぎやまんゆらぐてふ土耳古風呂よりさびしさの涌く【冒頭歌】
土耳古風呂そなたも何か歌へかしをとめの歌が聞こえくるぞも