2023年05月26日

『宝塚少女歌劇、はじまりの夢』の続き

短歌関連で印象に残ったことを書いておこう。

まずは、初期の団員たちの芸名である。高峰妙子、雲井浪子、篠原浅茅、瀧川末子など、みんな百人一首にちなんだ名前になっている。

田子の浦にうち出でて見れば白の富士の高嶺に雪はふりつつ
わたの原こぎ出でてみれば久方の雲ゐにまがふ冲つ白
浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれてもにあはむとぞ思ふ

当時はこういう名前が美しさを感じさせたのだろう。

続いて、高安やす子(高安国世の母)のことである。この本には2か所、やす子の名前が出てくるのだが、「歌劇」大正8年1月号に掲載された短歌「湯気のかく絵」について見てみたい。

いつとなく湯気のかく絵をながめ居ぬうつとりとして湯ぶねの中に
大理石(ナメイシ)の温泉(イデユ)の中に浪子はもギリシヤの女(ヒト)に似したちすがた

(…)高安は雲井浪子の立ち姿がギリシャ女性を思わせると詠んでいるが、一緒に入浴する機会があったのか、それとも想像の中での吟詠なのか。

宝塚新温泉の大理石の浴場を詠んだ歌である。やす子は関西の社交界では有名な女性で、与謝野寛・晶子の指導を受けて「紫絃社」という短歌グループを作っていた。

引用歌から思い出したのは、大正14年に高安やす子の書いた「日本の温泉と浴槽」というエッセイ(『一日一文』所収)である。日本の温泉設備が貧弱なことを指摘した後に、ローレンス・アルマ=タデマ(1836‐1912)の古代ギリシア・ローマの浴場を描いた絵画に言及している。

私はアルマタデマの好んで描くあの浴槽に多大の憧憬を持つ。美しい丸柱の並んだ柱廊や広間の中の大理石の階段をもつた浴槽、しきりのカーテンの上からわづかにのぞく蒼穹、美しい彫刻の口からおちる水晶の透明をもつた湯の泉、海の見えるベランダには丸柱にからむ薔薇の花が淡紅の雪とくづれる。洗練された美のかぎりなきしなやかさと、調和と明快と言語に絶した光と蔭と匂と豊潤な詩とこれ等最高な美をそなへた希臘の女がそこに浴みをする。

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例えば、こんな絵である。「お気に入りの習慣」(1909)。

先に引いた歌の「ギリシヤの女」という表現の背景には、やす子のこうした理想があったと見ていいだろう。

posted by 松村正直 at 15:16| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
高安やす子が高安国世の母だったということは全く知りませんでした(まさかこんなところで塔短歌会さんと繋がるとは)。
ちょっと調べてみて、劇作家で詩人の高安月郊は国世の伯父であり、ということはやす子の兄だったということも今回初めて知りました。月郊が宝塚少女歌劇のために書き下ろした『餘吾天人』という歌劇が大正9年1月に宝塚新温泉の劇場で上演され、同作品の脚本は雑誌「歌劇」の大正8年8月号で読むことができます。
やす子のエッセーもアルマ=タデマの絵画も全然知りませんでした。宝塚新温泉には当時のお金で30万円を掛けたという大理石の大浴場があり、男湯の壁には口からお湯の出るライオンの頭のレリーフが、女湯にはお湯が噴出する壺を頭上に掲げた裸体美女の立像があったようです。まさにアルマ=タデマが描く浴場のイメージだと思われます。
晩年の雲井浪子の介護をしていた実娘で女優の坪内ミキ子さん(父は坪内逍遥の甥の士行)によると、浪子は脚が長かったそうで、そんなところからも、やす子はギリシャ女性を連想したのかも知れません。
Posted by 小竹 哲 at 2023年05月27日 07:27
小竹さん、コメントありがとうございます。
当時の30万円といったら相当な金額で豪華さがうかがわれます。本の絵葉書に載っているのが男湯になるわけですね。

高安月郊は国世の父方の伯父になります。高安家は代々医師の家系だったのですが、月郊(三郎)は家業を継がず文学の道に進み、弟の道成(国世の父)と六郎が大阪で高安病院を開きました。高安六郎(国世の叔父)は医師ですが歌舞伎や文楽の批評も書いていて、『光悦の謡本』という著書があります。

月郊は東京で医学の修業中に「家業より真の天職を自覚した」と言って文学の道に進みました。国世も大学で医学部に進むはずのところ、「生涯を文学に捧げる」決意をして文学部に進みます。その進路選択には月郊の影響もあっただろうと思います。

やす子の実家(清野家)も医師の家系で、父は岡山や大阪の医学校の校長をしていました。やす子の叔父の清野勉は哲学者、やす子の兄の清野謙次は人類学者・考古学者でちょっと有名な人です。

当時は名家同士が結婚し、しかも兄弟姉妹も多いので、おじ、おば、いとこなども含めると、家系図に著名人がたくさん出てきて驚きます。高安国世もそういう意味で「いいとこのお坊ちゃん」だったのです。
Posted by 松村正直 at 2023年05月27日 09:53
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