2023年05月17日

永井荷風『濹東綺譚』


舞台はかつて私娼窟のあった玉の井。題名の通り、隅田川の東側、現在の墨田区東向島のあたりである。

小説の構造が変っていて、主人公の小説家大江匡が取材で玉の井を訪れ、元英語教師の種田順平が主人公の小説『失踪』を書く。つまり、永井荷風―大江匡―種田順平という三重構造になっているのだ。

しかも、巻末には荷風の「作後贅言」という32ページの長さの後記が付いている。小説と後記をあわせて、どこまでが実体験で、どこからが小説なのか、迷宮のようにわからなくなってくる。

小説をつくる場合、わたくしの最も興を催すのは、作中人物の生活及び事件が開展する場所の選択と、その描写とである。

とあるように(この「わたくし」は荷風ではなく大江匡であるが)、小説の中心は玉の井という場所と、そこに暮らすお雪という女性の暮らしである。舞台は私娼窟であるが、品の良い作品となっている。

最後に、「作後贅言」からアイスコーヒーに関する話を引こう。

銀座通のカフェーで夏になって熱い茶と珈琲とをつくる店は殆どない。西洋料理店の中でも熱い珈琲をつくらない店さえある。紅茶と珈琲とはその味(あじわい)の半は香気にあるので、もし氷で冷却すれば香気は全く消失せてしまう。しかるに現代の東京人は冷却して香気のないものでなければこれを口にしない。

なるほど、荷風は夏でもホットを飲んでいたのか。

1947年12月25日第1刷、2020年11月16日第86刷。
岩波文庫、540円。

posted by 松村正直 at 22:24| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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