話題は万葉集や斎藤茂吉についてだが、両者とも過度に相手にすり寄ったり話を合わせたりせず、言いたいこと、言うべきことをはっきり言っていて心地よい。
これはけっこう貴重なことで、私自身、対談や座談会などに出るたびに感じるのだけれど、どうしても話を合わせる方向に行ってしまいがちなのだ。
特に印象に残った発言をいくつか引く。
品田 柿本人麻呂や山部赤人は、万葉を代表する宮廷歌人ですが、彼らの営みは自己表現などではなかった。
品田 人麻呂は徹底的に体制派ですよ。体制を讃美し、体制を言葉によって荘厳することに命をかけていた人で、つまりプロパガンダの芸術ということを本気で追求した人です。
川野 男性批評者が囲んでいる斎藤茂吉という像は、茂吉自身と茂吉を囲む男性論者によって作られてきたのではないかという気がしてならないのです。
品田 歌人が短歌について語っている本はいっぱいあって、私も必要上ときどき手に取りますが、歌人の短歌解読には大概不純物が紛れ込んでいて、テクストの取り扱いとしては不徹底に終わっている。
川野 なぜ短歌が滅ばないかというと、近代化したい日本語文学という、ある種劣等感を伴った意識がある限り、短歌はその補完的な役割を担わされつつ、決して滅びずにあり続けるという奇妙な存在感があったのだろうという気がします。
なるほど、なるほど。
全21ページというなかなかのボリュームだが、実に刺激的だった。