2023年04月09日

山川徹『カルピスをつくった男 三島海雲』


2018年に小学館から刊行された単行本の文庫化。

「カルピス」の生みの親である三島海雲の評伝。浄土真宗の寺に生まれて僧侶となり、その後、中国大陸に渡って様々な事業に取り組む中で内蒙古で乳製品と出会い、1919(大正8)年に「カルピス」を発売する。

多くの資料と関係者への聞き取りによって、三島の異色の経歴や実業家としての経営哲学が明らかになっていく。それは、明治から昭和にかけての日本の近代国家としての歩みとも深く関わっている。

カルピスの発売は一九一九年七月七日―七夕の日だった。(…)七夕にちなんで、青地に白の水玉という天の川をイメージした図案が、戦後に白地に青といういまも使われているデザインに変わったのである。
一九四五年、日本の敗戦を機に内モンゴルはモンゴル国との統一を目指すが失敗に終わり、その後中華人民共和国に取り込まれてしまう。内モンゴルはモンゴル民族の自治権を与えられた自治区となり、現在にいたっている。
カルピスの船出から八八年後の二〇〇七年のカルピス社の調査で、日本人の九九・七%がカルピスを飲んだ経験を持つという結果が出た。国民飲料と呼ばれるゆえんである。

99.7%とは何とも驚異的な数字だ。こんなに親しまれている飲み物は他にないだろう。

三島は若い頃から多くの人物と関わりを持った。杉村楚人冠(新聞記者)、大谷光瑞(浄土真宗本願寺派第22世法主)、桑原隲蔵(東洋史学者)、大隈重信(政治家)、土倉龍治郎(実業家)、与謝野寛・晶子(歌人)など、多くの人物が登場する。

晶子の詠んだカルピスの歌が新聞広告に使われた話は、松村由利子『ジャーナリスト与謝野晶子』にも詳しく載っている。

カルピスは奇(く)しき力を人に置く
   新らしき世の健康のため
カルピスを友は作りぬ蓬萊(ほうらい)の
   薬といふもこれに如(し)かじな

それから100年。今もカルピスは多くの歌人に詠まれている。

「カルピスが薄い」といつも汗拭きつつ父が怒りし山荘の夏
        栗木京子『夏のうしろ』
結果より過程が大事 「カルピス」と「冷めてしまったホットカルピス」
        枡野浩一『てのりくじら』
こぼされてこんなかなしいカルピスの千年なんて見たことがない
        平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』

久しぶりにカルピスが飲んでみたくなってきた。

2022年1月12日、小学館文庫、780円。

posted by 松村正直 at 12:25| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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