
2015年から2021年までの作品445首を収めた第4歌集。
https://saku-pub.com/books/hikarinouroko.html
保育園は卒園式後も行くところ十八人が休まずに来る
わが髪に指かきいれてくちづけき 日本海溝葉桜の頃
水張田のおもてわずかにめくりつつ濃尾平野に黒南風は吹く
両脇にふたつ旋風(つむじ)をうみながら暁方(あけがた)の空を高くゆく鳥
夜ごと夜ごとシマフクロウの巡りいむ鼠径部の辺の喬木の梢
紅しとも蒼しとも見ゆ 高瀬川の桜は夜に侵されてゆく
噴水を万年と訳したる功の万年筆の黒き手触り
桟橋を離れてゆかぬ懐かしさターナーの水面に小舟の浮かぶ
雨脚のふときに支えられながら雲くろぐろと盆地を覆う
春の夜を震えて咲(ひら)くマグノリア 祈りは常に形をなさず
1首目、卒園式が済んでも親の仕事が休みになるわけではないから。
2首目、上句から下句への飛躍がいい。深い海の底の暗さと季節感。
3首目、「めくりつつ」という動詞の選びが印象的。風景が大きい。
4首目、羽ばたきが空気の渦を生むメカニズムを思いつつ見上げる。
5首目、性的なイメージだろう。夜行性で鼠を食べるシマフクロウ。
6首目、京都の繁華街。照明やネオンに照らされた妖しげな美しさ。
7首目、英語ではfountain pen。「万年」は永遠のような感じか。
8首目、絵の中の水辺の風景が、今にも動き出しそうに感じられる。
9首目、雲から雨と見るのでなく雨から雲と反転させて捉え直した。
10首目、強い祈りを感じる。両手を合わせた形のようなモクレン。
2023年2月4日、朔出版、3000円。
8首目のターナーの画の歌、松村さんの解釈の通りだと、2句目の「ゆかぬ(否定)」は「ゆかむ(婉曲)」もしくは「ゆきぬ(完了)」ぐらいではないかと思ったのですが、如何でしょうか?
永田淳さんの叙景歌は美しいですね。変にひねったりしてないのが良いのかもしれません。
8首目については、絵の中の舟なのでもともと離れて行くわけがないのですが、それをわざわざ「ゆかぬ」と否定することで、逆に離れて行く姿が一瞬浮かび上がるように感じます。いわゆる「見せ消ち」的な効果です。
短歌では〈古九谷の皿の中ゆく赤き雉三百年経てまだ皿を出ず〉(三井修『汽水域』)、〈とほき世に眉をゑがきしをみならの映ることなき手鏡ぬぐふ〉(横山未来子『午後の蝶』)など、打ち消すことによって、逆に「皿を出る」「映る」姿を想像させる歌があります。そうした手法と捉えました。
もちろん、それは一瞬のことで、実際には離れていかないわけですから、いつ見ても桟橋に小舟はとどまり続けています。そこに懐かしさや安らぎを感じるのでしょうね。