2023年03月26日

永田淳歌集『光の鱗』

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2015年から2021年までの作品445首を収めた第4歌集。
https://saku-pub.com/books/hikarinouroko.html

保育園は卒園式後も行くところ十八人が休まずに来る
わが髪に指かきいれてくちづけき 日本海溝葉桜の頃
水張田のおもてわずかにめくりつつ濃尾平野に黒南風は吹く
両脇にふたつ旋風(つむじ)をうみながら暁方(あけがた)の空を高くゆく鳥
夜ごと夜ごとシマフクロウの巡りいむ鼠径部の辺の喬木の梢
紅しとも蒼しとも見ゆ 高瀬川の桜は夜に侵されてゆく
噴水を万年と訳したる功の万年筆の黒き手触り
桟橋を離れてゆかぬ懐かしさターナーの水面に小舟の浮かぶ
雨脚のふときに支えられながら雲くろぐろと盆地を覆う
春の夜を震えて咲(ひら)くマグノリア 祈りは常に形をなさず

1首目、卒園式が済んでも親の仕事が休みになるわけではないから。
2首目、上句から下句への飛躍がいい。深い海の底の暗さと季節感。
3首目、「めくりつつ」という動詞の選びが印象的。風景が大きい。
4首目、羽ばたきが空気の渦を生むメカニズムを思いつつ見上げる。
5首目、性的なイメージだろう。夜行性で鼠を食べるシマフクロウ。
6首目、京都の繁華街。照明やネオンに照らされた妖しげな美しさ。
7首目、英語ではfountain pen。「万年」は永遠のような感じか。
8首目、絵の中の水辺の風景が、今にも動き出しそうに感じられる。
9首目、雲から雨と見るのでなく雨から雲と反転させて捉え直した。
10首目、強い祈りを感じる。両手を合わせた形のようなモクレン。

2023年2月4日、朔出版、3000円。

posted by 松村正直 at 22:25| Comment(3) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
永田淳さんの吟詠はどれも美しいですね。6首目の高瀬川の夜桜、特に10首目の夜の木蓮の歌の下の句、現代短歌であっても、キレイなものをキレイに詠んでいいんだ、と安堵しました(スゴい偏見・・・汗)。
8首目のターナーの画の歌、松村さんの解釈の通りだと、2句目の「ゆかぬ(否定)」は「ゆかむ(婉曲)」もしくは「ゆきぬ(完了)」ぐらいではないかと思ったのですが、如何でしょうか?
Posted by 小竹 哲 at 2023年03月28日 06:56
小竹さん、コメントありがとうございます。
永田淳さんの叙景歌は美しいですね。変にひねったりしてないのが良いのかもしれません。
8首目については、絵の中の舟なのでもともと離れて行くわけがないのですが、それをわざわざ「ゆかぬ」と否定することで、逆に離れて行く姿が一瞬浮かび上がるように感じます。いわゆる「見せ消ち」的な効果です。
短歌では〈古九谷の皿の中ゆく赤き雉三百年経てまだ皿を出ず〉(三井修『汽水域』)、〈とほき世に眉をゑがきしをみならの映ることなき手鏡ぬぐふ〉(横山未来子『午後の蝶』)など、打ち消すことによって、逆に「皿を出る」「映る」姿を想像させる歌があります。そうした手法と捉えました。
もちろん、それは一瞬のことで、実際には離れていかないわけですから、いつ見ても桟橋に小舟はとどまり続けています。そこに懐かしさや安らぎを感じるのでしょうね。
Posted by 松村正直 at 2023年03月28日 12:44
見せ消ち・・・なるほど、左脳的な解釈だけでは絶対に出てこない鑑賞ですね。ありがとうございました。
Posted by 小竹 哲 at 2023年03月28日 18:26
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