あとで知ったのだが、その人は当地で歌人として知られた人だった。短歌雑誌を主宰している。戦争で夫を亡くして、高校の司書になった。
最初に読んだのは、石川啄木の歌集である。
とはいえ高校生には、歌人には何の関心もなかった。ただ啄木が気に入った。暗記するほど読んだ。チンプンカンプンの数学の時間は、啄木短歌を思い出していた。
そして「読むだけでなくつくってみたら」と司書にすすめられて、短歌を詠み始める。
一年あまりして短歌の腕はかなり上がっていたのだろう。短歌雑誌にチラホラ掲載されるようになった。同人誌から誘いを受けた。
けれども、その後、大学入試が迫ってきたこともあり池内は短歌から離れる。「気がつくと歌稿ノートは満パイだったが、つくる気持ちはうすれていた」というのが大きな理由だったようだ。