底本は1926(大正15)年刊行の『改訂増補 温泉めぐり』。
北は青森から南は鹿児島まで、全国各地の温泉を訪れた紀行文。徒歩や汽車を中心とした明治・大正期の旅の様子や温泉宿の雰囲気が感じられて、すこぶる楽しい。
(箱根の姥子温泉)私は必要に応じて段々増築されたような浴舎を見た。また一つの卓、一つの寝台すら此処には不似合いに思われるような古い色の褪めた室を見た。湯殿に通う長い廊下の途中では、田舎家らしい囲炉裏、大きな黒猫のような鉄瓶、長く吊された自在鍵、折りくべて燃す度に火のぱっと燃上る榾、広い古びた台所には家族の人たちの大勢並んで飯を食っているさまを見た。
(日本アルプスの白骨温泉、中房温泉)こうした温泉では、食うものの贅沢は言うことは出来ない。また立派な居心地の好い室を望むことは出来ない。絹布の夜具も得ることは出来ない。まして脂粉の気に於てをやである。そこにいては、川でとれるかじか、岩魚に満足し、堅い豆腐に満足し、山独活、山百合、自然薯に満足し、時には馬鈴薯ばかりの菜で一日忍ばなければならないようなことがおりおりはあった。
それにつけても、急流を下る舟の舵の次第に少なくなったことを私は思わずにはいられない。天龍も、阿賀も、球磨も、最上も、すべてこの川(富士川)と同じように汽車が出来たために、その水路はすたれてしまった。朝早く残月を帯びて下って行く興味、途中に夕立に逢って慌てて苫をふくというような詩趣、忽ち船は急瀬にかかって、飛沫衣を湿すというようなシインは、もう容易に見ることが出来なくなった。
作者と一緒に旅しているような気分になり、旅情をそそられる。岩魚や自然薯の食事なんて、今ではむしろ最高の贅沢ではないか。観光用ではない舟運も、今では体験できないものだ。
今年の7月と8月に短歌の仕事で遠方に行く予定があるのだが、早速、温泉宿に泊まることにして予約を取った。
2007年6月15日、岩波文庫、800円。