副題は「日本近代文学50選」。
明治以降の50人の文学者の50冊の本を取り上げて書いた代日本文学史。朝日新聞に連載された「古典百名山」を元に加筆修正し、さらに第七章「文学は続く」を書き下ろしで追加している。
西洋文学の大きな影響のもと、小説、詩歌、戯曲それぞれのジャンルにおいて、日本語でいかに近代の社会や人間を描くかという苦闘が繰り広げられた。その軌跡が鮮やかに描かれている。
近代社会は個の時代であり、個が自我を持つ時代だということは頭では分かっていたはずの鷗外や北村透谷といったインテリたちは、一葉の文章に衝撃を受けた。そうなのだ。文学が描かなければならないのは、このような人間の内面なのだ。しかもそれを風景描写や人間の行動を通じて描くのだ。悲しい気持ちを「悲しい」と書くのではなく、状況の描写で描くのだ。/樋口一葉『たけくらべ』
そもそも彼がロシア語を学んだのは文学のためではなかった。当時の、極めて平均的な愛国者であった青年長谷川辰之助は、陸軍士官学校を受験するも近眼のために三度、不合格となり、それならばと対露防衛のためにロシア語を学ぼうと決意したのだ。/二葉亭四迷『浮雲』
明治維新から四十数年、四民平等、努力すれば出世できる世の中、身分を超えた恋愛など社会は大きく変化した。そしてやっと言葉はそこに追いついた。漱石たちが発明した文体で私たち日本人は、一つの言葉で政治を語り、裁判を行い大学の授業を受け、喧嘩をしラブレターを書くことができるようになった。/夏目漱石『坊っちゃん』
一九三〇年代中盤以降、多くの作家は戦争とどう向き合うのかを皆問われた。ある者は立ち向かい、ある者は転向し、またある者は最初から無邪気に国粋主義を賛美した。しかし、ここに、その向き合い方を半ば宿命づけられた一群がある。当時の植民地に生まれ育った者たちだ。/中島敦『山月記』
一冊あたり4ページという分量ながら、示唆に富む話が多く、自我、文体、国家、戦争など様々なことを考えさせられる。
ちなみに短歌からは、与謝野晶子『みだれ髪』、石川啄木『一握の砂』、若山牧水『若山牧水歌集』の3冊が選ばれている。
2022年12月30日、朝日新書、850円。