「未来」は1951年、「塔」は1954年。
「これからのコスモス、これからの結社」と題する座談会が載っている。出席者は、高野公彦、小島ゆかり、大松達知、水上芙季の4名。
僕は結社を辞めてしまったけれど、結社というものは今でも好きで、結社の功績はとても大きいと思っている。
座談会で驚いたのは高野さんの入会当時の話。宮柊二に「コスモス」の編集分室の住み込みのアルバイトに誘われて入会し、就職も宮柊二の口利きで、結婚相手も宮柊二の紹介とのこと。かつての結社の濃厚な師弟関係が伝わってくる。
4名がそれぞれ自分の体験や結社のあり方について率直に語っていておもしろい。結社の今後についても、「良い答えはないんですけど」(大松)、「名案はないなあ」(高野)など、正直に述べている。確かに、難しいかじ取りを迫られるのは間違いない。
印象に残った高野さんの発言を2つ引く。
落ちた歌を直してまた出すのは、その人の進歩にはマイナスだと思います。きっぱり諦めて新たな歌を作るほうがいい。
年が離れていて、自分の歌が理解してもらえないとか、見当はずれな批評をされるとか、嫌な気持ちになることってあるじゃない。でも世の中はそういうもので、自分を理解してくれない人が一杯いる。その人たちと接触することで、人間的に鍛えられるわけですよ。理解してくれる人ばかりの中で歌を作っていると〈ひ弱な歌〉になると思う。
こんなふうにはっきり言う人は今では減ってしまったので、貴重だと思う。全面的に賛成するわけではないけれど、胸にしまっておきたい考えだ。