1984年に朝日新聞社から出た単行本の文庫版。
このところ、司馬遼太郎をしみじみとした気分で読んでいる。近江と奈良の話なので、行ったことのある場所が多い。奈良散歩では最初の方に前川佐美雄が出てくる。
前川さんは、血圧をあげるためか、わずかに酒を飲む。戦後ほどもなく、歌集『紅梅』が出た。そこに「晩酌は五勺ほどにて世の歎きはやわが身より消えむとぞする」という歌があって、薬として飲んでおられたような気配がある。
他に印象に残ったところをいくつか。
大阪の船場のことばは京ことばを真似ぞこなって出来たものだと私は思っているが、実際には近江の丁寧言葉が元祖であったかもしれない。船場の中核的な商家の多くは近江系だったし、江戸・明治期は近江から丁稚を採用した。
近江は明治維新まではゆたかな先進地帯だったが、明治後、滋賀県という名に変ってからはさほどの近代産業をもたず、下流の京阪神に人材を提供するだけの県になった。
東大寺が建立された奈良時代では、仏教は生者のみのものだった。このため、東大寺ではなお創建以来の精神が息づいていて、葬儀というものはやらない。
死者に戒名をつけるなどという奇習がはじまったのはほんの近世になってからである。インド仏教にも中国仏教にもそんな形式も思想もない。江戸期になって一般化したが、おそらく寺院経営のためのもので、仏教とは無縁のものといっていい。
最近、テレビでも「ブラタモリ」などの街歩きの番組が増えているけれど、「街道をゆく」はその元祖みたいなものだったのだろう。
2009年1月30日、朝日文庫、800円。