副題は「近代北九州の一風景」。
貫始郎の短歌を読んで沖仲仕の仕事のことをもっと知りたいと思って買った本。記録作家である著者が1975年から80年代にかけて撮影した写真と、1983年に刊行した『海峡の女たち―関門港の沖仲仕の社会史』からの文章の抜粋で構成されている。
沖仲仕の花形は、なんといってもスコップや雁爪(がんづめ)で荷をすくい入れる入鍬(いれくわ)であろう。しかし、その陰に隠れて地味ではあるが、針(はりや)の存在を忘れることはできない。作業中に小麦や砂糖の袋が破れれば、すばやく飛びついて穴を繕う。
門司では長らく、「けがと弁当は仲仕持ち」と言われた。人力に頼っていた時代は、事故があってもあるていど軽傷ですんでいた。ところが、日中戦争前後にウインチが導入され、荷役設備が機械化され始めると、死ぬか重傷かどちらかというほど、命取りになりかねないものになった。
夏のダンブル内は「地獄窯」。船内荷役に不慣れで脱水症状を起こし、救急車で病院へ運ばれる者も出る。
沖仲仕の仕事の過酷さだけでなく、仲間同士の助け合いの強さや仕事に対する誇りも描かれている。しかし、港湾設備の機械化が進み、次第に沖仲仕の仕事はなくなっていく。
入港する船の数が減ったのに加え、港湾設備の急速な機械化が、港と沖の仕事に決定的な影響を及ぼしている。昔のように大勢の日雇沖仲仕は必要とされなくなった。職業安定所に日参しても、アブレる日が増えた。
「ああ、もう一度だけでいい、ぶっ倒れるまでバンカーの天狗取りをしたいのう」
一人が大声で叫んだが、その声はむなしく波間に消えた。港は、もう彼女たちを呼んではいないのである。
1988年に新港湾労働法が制定され、門司港の名物であった女沖仲仕は完全に姿を消した。けれども、彼女たちの生きた証は、この本にしっかりと刻まれている。記録することの大切さをあらためて思わされる一冊であった。
2018年3月25日、新評論、2000円。