1976年に「週刊朝日」に連載され、77年に朝日新聞社より刊行され、79年に文庫化された本の新装版。
時に理由はないのだけれど、年末になって「街道をゆく」が読みたくなった。「潟のみち」(新潟県)「播州揖保川・室津みち」(兵庫県)、高野山みち(和歌山県)、信州佐久平みち(長野県)の4篇が収められている。
半世紀近く前に書かれた文章だが、今でも特に引っ掛かりなく素直に読むことができる。ものを見る目が公平で偏りがないからだろう。途中、雑談になったり、同行者の観察をしたりと寄り道も多いのだが、それが味わい深さになっている。
極端にいえば、特に化(か)していることは定着して稲作をしていることであり、特に化していない(化外)ということは、稲作をせずにけものを追ったり、魚介を獲ったりしているということであったにちがいない。
(三木)露風は一貫して象徴詩の立場を持(じ)し、反自然主義や、北海道の修道院の講師になってからは自然の感情からはほど遠い宗教詩なども書いたが、結局はわれわれ素人の胸にのこっているのは、この童謡「赤とんぼ」であるかもしれない。
信州は鎌倉以来、上方圏に属せず、関東圏に属し、交通網もそのようになっている。鎌倉幕府ができると鎌倉へできるだけ早く到着できるように信州の各地で多くの「鎌倉往還」が開鑿された。
空海の教学は後継者によって発展しなかった。発展する余地がないほどに空海が生前完璧なものにしてしまっていたからである。これに対し最澄の後継者たちはちがっていた。(…)この系統から無数の学僧や思想的人物が出、ついに鎌倉仏教という日本化した仏教世界を創造するにいたった。
この本を読んで特に印象に残ったことが2つある。
一つは湿地帯であった土地を排水して広々とした水田に変えた「亀田郷」のこと。私の好きな菓子メーカー「亀田製菓」は、なるほどこの地の生まれであったのか。
もう一つは「播州揖保川・室津みち」の案内役を、歌人の安田章生がしていること。安田は司馬とも画家の須田剋太とも、古い友人なのであった。
2008年10月30日、朝日文庫、700円。