幕末の探検家・著述家の松浦武四郎は、1846(弘化3)年と1856(安政3)年の2回にわたって樺太を訪れた。著者は武四郎の残した日記やスケッチを元に、彼の通ったルートを追跡していく。
舗装されていない道路も多く、また道のない海岸線もある。非常に根気の要る調査の末に、サハリン州郷土博物館の協力もあり、7年間かけてようやくルートの全容が明らかになった。
樺太各地で武四郎の描いたスケッチと、著者の撮った写真が対比されている。
私は現地で、絵の構図に合わせた写真を撮ろうとして近くの斜面に登ったが、その辺りはせいぜい五〇メートルほどの高さでしかなかった。しかも四五度以上もある急斜面で、ずるずると滑り落ちながら苦労して撮影した。
現地を訪れて著者が発見したのは、武四郎のスケッチが単に見たままを描いたものではなく、周辺の地形を説明するための鳥観図であるということだ。今ならドローンを使って撮影したようなものだろう。
武四郎は西能登呂岬の「白主土城」も訪れている。元軍による樺太侵攻(北の元寇)の遺跡とも言われる場所だ。
これが築かれた年代ははっきりしないが、一二八一年(弘安四年)の元軍による第二回目の日本遠征の後、カラフトアイヌ人との交戦が幾度かあり、一三〇八年(延慶元年)には完全に元軍に屈したと伝えられている。
松浦武四郎、すごい人だな。
サハリンを気軽に旅行できる日が、早くまた訪れてほしい。
1997年3月17日、北海道新聞社、1500円。