
2018年から2021年の作品576首を収めた第11歌集。
すごい歌は一首もないけれど、すごい歌集。読んでいて思わず泣いてしまった。別に泣くような内容の歌集ではないので、なぜ泣いたのかを説明するのが難しい。
ゆふやみは土より湧きてたちまちに並木の杉をくろく濡らせり
「国境なき医師団」に月々わづかなる金おくりゐし妻をおもふも
足立たずになりたる猫がおそろしき目付きにかはりしこと忘れ得ず
ベートーヴェンのピアノソナタを聞きながら赤いきつねを食ふのも一生(ひとよ)
駅階段一段とばしに駆けあがり空に消えたり女子高生は
知盛の子の知章(ともあきら)父よりもさきに討たれしことのあはれさ
雪の夜に迫りせまりて養魚場より錦鯉をば盗む人あり
橋のなかばに自転車とめて川を見るひとりの人がわれなりしかも
戒名をつけてもらひて支払ひし二十万円は惜しくもあるかな
種付けの苦(く)はいかばかりディープインパクト千七百余頭の子を残したり
1首目、夕暮れが暗くなっていく様子を霧や水のように描いている。
2首目、「月々わずかなる」に、亡き妻の人となりや人生が浮かぶ。
3首目、動けなくなることは、本来動物にとって死に直結していた。
4首目、「ベートーヴェン」と「赤いきつね」の取り合わせが絶妙。
5首目、女子高生の圧倒的な元気のよさ。「消えたり」が鮮やかだ。
6首目、知名度の高くない知章に着目したのが印象的。数え16歳。
7首目、現場を目撃しているような臨場感がある。初二句がうまい。
8首目、結句で鮮やかに反転する歌。そんな自分の姿に自分で驚く。
9首目、よく考えれば戒名があったところでどうなるわけでもない。
10首目、血統が重要視される世界の姿。「苦」と捉えたのが発見。
「国境なき医師団」の歌(P49)には、だいぶ後に〈「国境なき医師団」にわづかなる送金しつつ年くれむとす〉(P240)という続きのような歌がある。この2首が並んで載っていたら何でもないのだけれど、完全に忘れた頃に出てくるので胸に迫る。
2022年8月26日、砂子屋書房、3000円。