2022年10月28日

幸徳秋水『二十世紀の怪物 帝国主義』


幸徳秋水(1871‐1911)の最初の著書『二十世紀の怪物 帝国主義』(1901)と、獄中で書かれた絶筆「死刑の前」(1911)を現代語訳したもの。山田博雄訳。

「二十世紀の怪物 帝国主義」は、当時世界的に隆盛を極めていた帝国主義について記したもの。幸徳は帝国主義を「「愛国心」を経とし、「軍国主義(ミリタリズム)」を緯として、織りなされた政策」と分析して、その危険性を示すとともに、人々に社会の変革を訴えている。

日本人の愛国心は、日清戦争に至って史上空前の大爆発を引きおこした。日本人が清国人を侮蔑し、ねたましいと思って見、そして憎悪する様子といったら、まったくなんと形容していいかわからないほどであった。
「帝国主義」とは、すなわち大帝国(グレーターエンパイア)の建設を意味する。大帝国の建設は、そのまま自国の領土の大いなる拡張を意味する。
米国は本当にキューバがスペインから独立と自由を勝ちとる運動のために戦ったのか。それなら、なぜ一方で、あんなに激しくフィリピン人民の自由を束縛するのか。なぜあんなに激しく入りピンの自主独立を侵害するのか。
帝国主義者たちは手に入れることができる新市場の余地が乏しくなったので、世界各国はすでに互いに他国の市場を奪い合う兆しをみせている。

ここに記されている内容は、歴史的に見れば1914年に起きる第1次世界大戦や、1945年の日本の敗戦などを見通したものと言えるだろう。幸徳の先見の明が光る。

「死刑の前」は、大逆事件で罪に問われ39歳で刑死した幸徳が、死を前にして自らの死生観などについて記したもの。全五章が予定されていたが、一章を書いた段階で処刑されたために未完となっている。

死刑! 私にはじつに自然な成り行きである。これでいいのである。かねてからの覚悟があるべきはずである。私にとって死刑は、世の中の人々が思うように、忌まわしいものでも、恐ろしいものでも、何でもない。
私は長寿自体が必ずしも幸福ではなく、幸福は、ただ自己の満足をもって生き死にすることにあると信じていた。もしまた、人生に社会的な価値(ヴァリュー)とも名づけるものがあるとすれば、それは長寿にあるのではなく、その人格と事業が、彼の周囲と後代の人々に及ぼす感化・影響の如何にあると信じていた。今もそのように信じている。

死刑を前にして、驚くべきほどの落ち着きようだと思う。あらためてすごい人物だと感じる。

1911年1月18日に死刑の判決が下り、早くも24日に死刑が執行された。この人を死刑にした国に、私たちは生きているのである。

2015年5月20日、光文社古典新訳文庫、860円。

posted by 松村正直 at 08:24| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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