2022年10月16日

貫始郎歌集『海港』(その3)

石炭はバケット荷役に変るとぞ飯場には四十人の仲仕ら居るも
二十八屯を摑むとうバケット吊られいて石炭荷役吾らには来ず
荷役減り花田飯場も閉ざすとう鍛冶屋も籠屋も去りてゆきたる

多くの労働者が従事していた荷役の仕事も時代とともに機械化が進み、やがて飯場が閉鎖されてゆく。

作者も25年働いた荷役会社を退職し、歌集刊行の4年前から有料道路の料金所で働くようになる。荷役の仕事は厳しくて大変であったが、作者はそれを嘆くだけでなく、誇りをもって取り組んでいた。

歌作を始めたばかりの昭和四十九年、第七未来合同歌集『汗と心と生活のうた』に参加した折、いろんな職業の歌は数多く詠まれていたが、船艙の歌、荷役の歌はすくない。現場にいる私は、船艙や荷役の歌はこの私にしか詠めないのだという自負を持っている。悲しい自負なのだと赤面しながら作って来たのである。

「この私にしか詠めない」という思いの強さが、歌集『海港』の大きな魅力になっている。

1983年12月20日、牙短歌会、2000円。

posted by 松村正直 at 22:50| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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