作者の貫始郎(松尾利則)は沖仲仕(港湾労働者)として北九州の港で働いていた人。港に大型クレーンが整備されコンテナ船が普及する1970年代頃までは、貨物船と艀や埠頭の間の荷揚げ・荷下ろしに従事する多くの労働者がいた。「沖仲士」はその中でも船内荷役を担当する人々のことである。
船底に積荷の鋼の来るを待つ体寄せ合い暖とりながら
鉱石に赤く浸みたる仕事着を踏み洗いおり水の澄むまで
メキシコの岩塩の塊り砕きおれば形くずれし靴の出で来つ
水かけて夜食食みおり船艙に満たす残りの肥料八千袋
炭塵のよどむ船艙に荷役する口中の粉炭吐きすてながら
甲板の下の貨物を積み込む船艙での作業である。荷物は鋼、鉱石、岩塩、肥料、石炭など様々だ。夜間の仕事も多く、暑い日も寒い日も関係なく一年中作業は続く。
殴ぐられし男と殴ぐりたるわれとパトカーに肩を並べて坐る
横たわりたちまち眠る沖仕らの偽名と思う名を知れるのみ
労災補償さえなき吾ら地下足袋に滑りを防ぐ荒藁を捲く
花嫁の兄われ立ちてみずからの職言わぬ自己紹介を終う
飯場に集う日雇い労働者は、悪い労働条件や待遇でも働かざるを得ない事情を抱えている人が多かった。社会的な差別も受けており、「沖仲仕」という言葉も現在は差別語とされている。
うす暗く深き船艙に舞う雪の積もりて白し世に隔りて
夜の霧の流るる海に吊る鋼が荷役灯の灯を受けつつ青し
船艙から見上げる雪の白さや、吊られた鋼の青さが、過酷な現実とは別の世界のように美しく感じられる。
1983年12月20日、牙短歌会、2000円。