https://www.yomiuri.co.jp/stream/1/20011/
この言葉は歌集『雲母集』(1915年)のあとがきに記されたもの。もう少し長く引用してみよう。
相州の三浦三崎は三浦半島の尖端に在つて、遥かに房州の館山をのぞみ、両々相対して、而も貴重なる東京湾口を扼してゐる、風光明媚の一漁村である。気候温和にして四時南風やはらかく而も海は恍惚として常によろめいてゐる、さながら南以太利の沿岸を思はせる景勝の土地である。
三浦三崎の風景が南イタリアに似ていると記すのだが、白秋は南イタリアに行ったことはない。樺太(1925年)や台湾(1934年)は訪れているが、意外なことに白秋は一度も外国には出掛けたことはない。
では、なぜ「南以太利」が出てくるのか。それは、おそらく白秋の愛読した森鷗外訳『即興詩人』(アンデルセン原作)によるのだろう。そこに描かれたナポリあたりの風景が、白秋の「南以太利」イメージのもとになっているのだ。
ナポリは龍宮の如く美しく、貧民窟ははきだめの如く汚い。
出典は不明で、そもそも賀川はアメリカには留学していても、ヨーロッパには行ったことはなかったのでは・・・と思うのですが、ひょっとしたら当時日本には南イタリアに対する何らかの共通イメージがあったのかも知れません。
賀川豊彦の話、おもしろいですね。
確かに文学作品などを通じて南イタリアについてのイメージが出来上がっていたような印象を受けます。機会があれば調べてみたいと思います。