2022年09月11日

『台湾生まれ 日本語育ち』の続き

ヤクルトの村上宗隆選手が53号のホームランを打って、「日本人歴代2位」「日本選手単独2位」といったニュースが流れている。1位は王貞治の55本だが、王さんの国籍は中華民国なので国籍という点から言えば「日本人」ではない。だから「日本選手」といった表記も使われているのだろう。

以前、大相撲で稀勢の里が横綱になった時などに、「日本出身横綱」という表現を見かけた。武蔵丸(ハワイ)や白鵬(モンゴル)など外国出身の横綱と区別する呼び方である。なぜ「日本人横綱」と言わないかと言えば、武蔵丸も白鵬も帰化して日本国籍を取得しているからだ。国籍という点から言えば、彼らも「日本人」なのである。

私たちは自分たちの都合によって、彼らを「日本人」に含めたり含めなかったりする。一体どこにどう線を引いて、何と何を区別したがっているのだろう?

二十三歳のある日、突然日記が書けなくなった。十年以上、ほぼ毎日、あたかも「生まれながらの自分の言葉」であるかのように、自由自在に操っていた日本語が、ふと「外国語」のように感じられた。いや、逆だ。何故「外国人」であるはずの自分は、すらすらと日本語を書いているのだろう、と思ったのだ。その日を境にわたしは、日本人のふりをしながら(11文字傍点)、日本語を書くことができなくなった。
台湾人なのに中国語ができない。日本語しかできないのに日本人ではない。/ずっと、それをどこかで恥じていた。けれども、そうであるからこそ、わたしはわたしのコトバと出会うことができた。

温又柔の文章は、「日本」と「日本人」そして「日本語」が一対一で対応しているのではなく、緩やかな関係で結ばれていることを教えてくれる。それは、多様で豊かで開かれた「日本」や「ニホン語」を示してくれるものだ。

posted by 松村正直 at 07:33| Comment(0) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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