2022年09月05日

大佛次郎と吉野秀雄の口論

以前、米川稔が死んだかどうかをめぐって、大佛次郎と吉野秀雄が口論した話を書いた。
https://matsutanka.seesaa.net/article/490112646.html

大佛次郎が昭和20年8月21日の朝日新聞に書いた「英霊に詫びる」の中で、米川稔を死者の一人に挙げたことに対して、吉野秀雄が反発したのである。

この出来事が大佛の日記だけでなく、吉野の日記にも記されていることがわかった。

「短歌研究」2003年6月号〜8月号に、吉野秀雄「艸心洞日記」の昭和20年5月24日から8月31日分(全集未収録)が載っているのだが、その8月25日に次のようにある。

○夜、大佛氏、村田氏宅より電話、病気の故をもちて断る。本人酔ひて来り、蚊帳の外に頑張りてどうしても来いとてきかず。即ち同行して痛飲す。座に相馬、木原、夏目等あり。相馬、例のうるさき酔ひ方に閉口す。大佛氏の「英霊に詫びる」といふ文中、米川を戦死者として書きのめしたる件、不謹慎なりとて突つ込み、「外へ出ろ」といふところまで至る。余のいひ方も悪かりしか。大佛氏の「絶交」云々も見当違ひならん。深夜帰宅す。

双方酒に酔っていたせいもあるだろうが、殴り合い一歩手前のかなり激しい口論になったようだ。

それだけ吉野の米川に対する思いは深く、万一の生還に望みをつないでいたということかもしれない。

posted by 松村正直 at 20:18| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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