2022年09月01日

雑詠(018)

*******************************

死臭より淡いけれども枕から漂いのぼるわれの匂いが
氾濫の収まりしのちの萎れたる川を見ており鴉とともに
言いたくて言えないことの百日紅のどから伸びて両目をやぶる
殺処分の囲いのなかに犬たちは交尾しており声を荒げて
弁当の蓋につきたる米粒のたましいなんて空疎なことば
この庭の奥にトイレがあることを知ってる、初めての店なのに
若き日の映画ふたたび見ることの増えて初秋の雲のあかるさ

*******************************

posted by 松村正直 at 06:18| Comment(2) | 雑詠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「雑詠」を拝読し、「若き日の映画ふたたび見ることの増えて初秋の雲のあかるさ」が特に心に残りました。とても素敵な歌だと思います。『歌壇』の2018年6月号に掲載された、坂井修一氏の「蘇る短歌B 世界の奥につながる『て』」を読んで以来、接続助詞の「て」が気になっています。件の文章の中で坂井氏は「接続助詞の『て』は、辞書的には『後に述べる内容よりも先行する内容を表す語句を受ける』(広辞苑)ものなのだが、現代短歌の秀作は、その奥にさらに深いニュアンスを植えつけている。このことは、私たちが短歌を読んだり作ったりするときに、とても大切なことがらだと思う。」とお書きになっています。松村氏の「〜〜増えて初秋の雲のあかるさ」の「て」にも単に時間的な順序や因果を越えたものを感じました。
Posted by 蒔苗博道 at 2022年09月04日 13:01
蒔苗さま、コメントありがとうございます。
一昨年、24年間在籍した短歌結社を退会し、日常の作品発表の場がなくなってしまいましたので、月に1度のペースでブログに歌を載せています。「て」の話、おもしろいですね。坂井さんが高野公彦と佐藤佐太郎の歌を引いて書かれた文章をあらためて読み直しました。短歌ではよく、「て」でつなぐと説明的になりやすいと批判されることもあるのですが、使い方次第で奥深いものにもなるということでしょう。
Posted by 松村正直 at 2022年09月04日 18:08
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。