2022年08月26日

白内障の手術の歌

近年、白内障の手術を詠んだ歌をよく見るようになった。それだけ手術が手軽になり、多くの方が受けているということなのだろう。

いつ頃から、こうした手術は行われていたのかと思ったら、戦前の歌集に歌があった。前田夕暮『水源地帯』に収められている「手術」41首という大作で、昭和6年のものである。

  六月二十二日、帝大眼科にて左目白内障手術
ひいやりと硝子張の手術台に寝た時、私の病室で啼いてゐる螽斯(きりぎりす)を聞いた
顔にかけられた白布(しろぬの)――片眼だけ露出した自分の寝姿を考へる
手術室の突き出た窓から、いつぱいに這入る光を足の裏が感じてゐる
微かなメスの刄ざはりを感じて、眼球(めだま)がしいんとなる
切開された眼球が、とろりとして眼帯(がんたい)の下にある夜半!
両眼をかくされたまま、七日の昼と夜を仰向けに臥て、ぢつとしてゐよといふのだ
うす青い光が眼帯(がんたい)の上を這つてゐるので、私は朝を感じた。
うす赭い光が眼帯を透してくるので、私は、午後であることを知つた
隣の雑居室の大時計が、一時をうつたきり、いつまでたつても二時をうたぬ(夜)
水の音が足の方でちろちろしてゐる――朝の水音はうれしい
帰りしなに手を握つてくれた妻の手から、何か新しい妻を感じる
鉢植の芒の嫩葉(わかば)をさはらせて貰ひながら、眼がみえぬ者の喜びを初めて知る
  眼帯を除かれる朝
芒の嫩葉(わかば)に手をふれながら、眼があく午前のわくわくした気持だ
  青視症
タングステンのやうな青い光が、いきなり眼のなかにとび込んでくる、朝ばれ(眼帯をとる)
雨あがりの朝の青つぽい光が、視野いつぱいにはいつてきた驚き

まだまだ歌はあるのだが、引用はこれくらいにしておこう。

今と違って手術後1週間は眼帯をして入院生活を送らなければならなかったようだ。その分、感覚が敏感になって光を感じたり、聴覚や触覚の表現が増えたりしている。

この時代の夕暮は口語自由律。詞書や読点、ダッシュ、エクスクラメーションマークなどを使って、多彩なリズムで一首一首を詠んでいる。実におもしろい。

当時の手術は、濁った水晶体を取り除くだけしかできなかった。現在では眼内レンズ(人口水晶体)が用いられるが、その実用化は戦後になってからのこと。そのため、失った水晶体の分は眼鏡によって補正しなければならなかったらしい。

posted by 松村正直 at 14:53| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。