戦前の日本が石油を中心としたエネルギー問題に対して、どのように取り組んでいたのかを論じた本。
国内産の石油だけではもちろん足りず、北樺太や満洲における油田開発、石炭を元にした人造石油の開発など、様々な取り組みが行われた。しかし国としての明確なエネルギー政策を欠いた日本は、結局、太平洋戦争による南方油田の奪取へと進むことになる。
巷間では、初の「日の丸原油」は、アラビア石油の創設者・山下太郎の手によるカフジ原油だと信じられている。だが、本当の意味で日本人が自らの手で掘り出した最初の海外原油は、樺太のオハ原油だったのである。
昭和十一(一九三六)年の日独防共協定は、まさに共産主義国家ソ連を敵対視するもので、これを機にソ連側の北樺太石油の事業推進に対する締め付け、嫌がらせ、事業推進妨害は熾烈なものとなっていった。
緒戦の戦果に浮かれていた大本営政府の首脳は、南方から石油を乗せた船が、アメリカ軍の潜水艦や航空機攻撃で壊滅状態になることへの想像力を欠いていた。
石油、いやエネルギーに関しては、太平洋戦争当時の日本を取り巻く基本骨格が、現代もなお変わっていないという事実に驚かされる。日本は、昔も今も、石油を始めとする一次エネルギー資源をほぼ持たない「持たざる国」なのだ。そしまた、「非常時」がいつ来るか、わからない。
この予言は、現在まさに的中したと言っていいだろう。ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、石油・天然ガスの開発プロジェクト「サハリン1」「サハリン2」における日本の権益を維持できるかが大きな問題となっている。
また、2011年に起きた福島第一原発の事故や、現在の原発再稼働に向けての動きの背景にも、こうしたエネルギー問題がある。それは、今なお解決できていない問題として残されたままなのだ。
2016年1月20日、文春新書、820円。