2006年に鎌倉ペングラブが選定した「鎌倉百人一首」から約50首を取り上げて鑑賞などを記したエッセイ集。
文章が丁寧で柔らかく、長年鎌倉に住む著者ならではの解説などもあって、一首一首の歌や鎌倉という町の持つ魅力が存分に引き出されている。
放ちしは歌にくるへる若き子よ由井が浜辺の野火に声あり
高村光太郎
(…)「明星」の創刊は明治三十三年(一九〇〇)春だが、翌年(一九〇一)の正月、「廿世紀を祝する迎火」を、鉄幹を中心に、同志の者たちが由比ヶ浜で焚いている。
薪(たきぎ)樵(こ)る鎌倉山の木垂(こだ)る木をまつと汝(な)がいはば恋ひつつやあらむ
万葉集
(…)古くは「恋ふ」とは、目前にいない人を想う場合に用いられることばで、二人が一緒にいれば「見る」「逢ふ」の語を使う。
ひんがしの相模の海にながれ入る小さき川を渡りけるかも
斎藤茂吉
(…)近代短歌史の中では巨岩のような存在の歌人であるが、小さな歌材をていねいに、真摯に捉えるその手法と、大景の中にそれを活かす表現力におどろかされる。
先日、米川稔のお墓参りに鎌倉を訪ねたのだが、米川の最後の歌〈ぬばたまの夜音(よと)の遠音(とほと)に鳴る潮の大海(おほうみ)の響動(とよみ)きはまらめやも〉も百人一首に選ばれている。これは嬉しい。
江戸時代には、さびれた漁村になり果てていた鎌倉は、明治時代になってから、避暑地、避寒地として復活する。海水浴をすすめた長與専斎(ながよせんさい)にはじまるという保養地としての鎌倉は、東京山の手の邸町の雰囲気と、洋行帰りのハイカラモードを持ち込んだ別荘族たちによって、新しい息吹を得たのであった。
鎌倉は私にとっては十代の頃に遠足や旅行でしばしば出掛けた場所。あらためて興味・関心が湧いてきた。
2008年5月21日、集英社新書ヴィジュアル版、1000円。