2022年08月16日

渡辺松男歌集『牧野植物園』

著者 : 渡辺松男
書肆侃侃房
発売日 : 2022-06-20

2016年の作品400首を収めた第10歌集。
73首が「ねむらない樹 vol.8」掲載作で残り327首は未発表作!
相変わらず発想や言葉の使い方が独特で、面白い歌が多い。

俄雨あれがわたしでありしよとべつのわたしが晴れておもひぬ
ビー玉は処刑のあとの眼球かころがりゆけば山河が廻る
正座せる若き太ももに大気圧おしかへすごときみなぎりの充つ
まだわれであるかのごとくわがこゑがみづあめのばすごとく離るる
ペットボトル一本で誘惑できるとかひとのこころはたいがい火事で
炎暑にて無人の町のみづたまり蒸発をして足跡となる
石狩川河口へ曇天下にゆきて影なきわれは河口に見入る
摩周湖の澄める巨眼をのぞきこみぐつと冷えたる鶚(みさご)の翼
あのへんは遠く清流だつたのだスカイツリーを天魚(あまご)がおよぐ
そのめぐりにんじんいろにみつるときにんじんは悲しにんじん売場
落ちながら大きくなれる日輪の地平すれすれダンプカー過ぐ
網戸の目一ミリ四方の密集をすりぬけてきし飛行機の影
母の日のコップに挿せるアンジャベル母のなきゆゑよく水を吸ふ
山頂で握り飯たべてゐるわれにやつと出会ひぬ空腹のわれ
食パンの四角やあんパンの丸は口にて嚙みしのちにも消えず

1首目、天気と心境の変化が重なる。複数の「わたし」が存在する。
2首目、死体から落ちた眼球が、転がりながらまだ風景を見ている。
3首目、比喩のスケールが大きい。若い肉体の持つ生命力を感じる。
4首目、声は単なる音ではなく声を発した人の肉体性を帯びている。
5首目、心に寂しさや乾きがあると、簡単に何かに引かれてしまう。
6首目、足跡に水が溜まる場面でなく乾く過程を詠んだのが印象的。
7首目、曇天だから「影なき」なのだが存在感の薄さも滲むようだ。
8首目、摩周湖は周りを山に囲まれている。「巨眼」の比喩がいい。
9首目、イメージの重なりの美しい歌。水族館と読まなくてもいい。
10首目、一本だけなら別に何でもないが、大量にあると胸に迫る。
11首目「すれすれ」がいい。太陽にぶつかるはずはないのだけど。
12首目、網戸越しに見える飛行機。網目に引っ掛かることはない。
13首目、アンジャベルはカーネーション。理屈ではない「ゆゑ」。
14首目、時間の推移を二人の「われ」で表す。異時同図みたいだ。
15首目、パン自体は無くなってもイデアや概念は残る感じだろう。

「鏡」「バラギ湖」「あぢさゐ」「ひまはり」などの連作は、すべての歌にその言葉が含まれる題詠のような作りになっていて、作者の持ち味があまり発揮されていないように感じた。

2022年6月23日、書肆侃侃房、2300円。

posted by 松村正直 at 15:47| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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