2022年08月15日

今後の予定

下記のイベント、歌会、カルチャー講座に参加します。
多くの方々とお会いできますように!

・ 8月27日(土)講座「啄木日記から見た短歌」(くずは)
 https://matsutanka.seesaa.net/article/488270405.html

・10月2日(日)第3回別邸歌会(滋賀)
 https://matsutanka.seesaa.net/article/490888255.html

・10月16日(日)国際啄木学会2022年度秋の大会(宮城)
「大正デモクラシー期の文学と思想―啄木・晶子・作造―」
 https://takuboku.jp/seminar/452/

・10月23日(日)文学フリマ福岡
 https://bunfree.net/event/fukuoka08/

・11月3日(祝)講座「永井陽子の奏でる言葉」(京都)
・11月26日(土)中林祥江『草に追はれて』を読む会(和歌山)
・12月11日(日)第4回別邸歌会(橿原)

posted by 松村正直 at 08:04| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
夏休みに断捨離をしていたら『短歌』の1993年1月号が出てきました。その中に永井陽子の新春のメッセージ「この二年間、良いことは何もなかった。良いことの何もない日々にもう慣れてしまった気がする。人はなぜ生きるのだろう。私はなぜ歌など作るのだろう。(後略)」が載っていました。永井陽子の人生を知ることは、永井陽子の歌を読む上でどのような意味を持つのでしょうか。11月の講座で松村さんが何を語られるのか、興味深いです。
Posted by 蒔苗博道 at 2022年08月16日 08:37
蒔苗さん、コメントありがとうございます。
永井陽子は音楽性に富んだ幻想的で美しい歌で知られますが、その背後にある人生は苦しいことも多いものでした。1990年12月に母が脳梗塞で入院、1991年4月には好きだった県立図書館の勤務から異動になってしまい、1992年1月には16年間続けてきた同人誌「詩線」が終刊します。そして1993年1月には母が亡くなるという慌ただしい時期でした。
軽やかな明るさで短歌史に名をとどめる第5歌集『モーツァルトの電話帳』と母の介護などの重たい現実を詠んだ第6歌集『てまり唄』が、実は同じ時期の歌であるというところに、何とも言いようのない感慨を覚えます。
Posted by 松村正直 at 2022年08月16日 09:41
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