「のこす言葉」KOKORO BOOKLETシリーズの1冊。
建築史家として日本の近代建築の研究をするだけでなく、建築家として「タンポポハウス」「高過庵(たかすぎあん)」「ラコリーナ近江八幡」などの話題作をつくってきた著者が、自らの生い立ちや建築に対する思いを記している。
「高過庵」も「茶室 徹」も、一見ツリーハウスのように見えますが、ツリーハウスではありません。もともとそこにあった樹の上につくったわけではなく、枝ぶりのよい木を選んで伐り倒し、現場に運んで柱として立てて、その上に庵をつくっています。この違いはとても重要。
発見の喜びは、解釈の喜びよりはるかに大きい。だって東京駅を設計したあの辰野金吾の建築だって、知られてないのが次々と出てくるんですから。竣工当時は有名だったものも、忘れられてますからね。
優れた建築は、本人も気づかなかった意味がいっぱい入ってる。だから、時代を超えられる。本人が自覚した点は本人が文章に書いてるけれど、それはその時代のなかで考えたことで、時代が変われば消えていく。だけど時代を超えるものがある。それは本人も自覚していないことなんですよ。
当たり前ですが、理論化は、言葉によってしかできない。言葉は、人間が生み出した最も抽象的なもののひとつです。一方、ものをつくることは、自分のなかの酵母のようなものがぐずぐずとした発酵状態にあって、そこから生まれてくる。言葉で理論化することは、そこに強い光を当てるようなもので、だいたい酵母は死ぬ。
このあたりは、短歌にもよく当て嵌まる話だと思う。
巻末の「のこす言葉」は「部屋は一人の 住宅は家族の 建築は社会の 記憶の器。自力でも誰かに頼んでも お金はかけてもかけなくても 脳を絞り手足を動かして作れば大丈夫。器が消えると記憶もこぼれて消えるでしょう。個人も家族も社会も記憶喪失ご用心。藤森照信」というもの。
建築の持つ「記憶の器」としての力をあらためて感じた。
2020年2月19日、平凡社、1600円。