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米川稔(1897-1944)は北原白秋の結社「多磨」に所属する歌人で、本業は産婦人科医。1942年に45歳で召集され、軍医としてニューギニア島の東部に渡りました。ここはマラリアや飢餓のために多くの兵が苦しみ、生存者はわずか7%であったと言われる地域です。
瀬戸物などの毀(こは)れしごとく死にてゆくこの死(しに)ざまを何とか言はむ
密林の長き夜ごろをさめやすく鼠額(ぬか)を超え蜥蜴は脛(すね)を這ふ
爆弾破片に傷(やぶ)れし病床日誌を展(の)べ戦死を誌すその二日のちに
米川はこうした生々しい作品を現地で詠み、短歌誌に次々と発表しました。そして1944年に「病衰のために行軍不能に陥り」自決したと伝えられています。
彼の残した短歌を読みながら、一個人が戦争をどのように見たのか、また戦争が個人の人生をどのように変えてしまうのかについて考えたいと思います。皆さん、ぜひご視聴ください。
内地では勇壮に体裁を整えた戦意を鼓舞する歌が詠まれていても、戦地のリアルにおいては自然吟詠は破調になるということでしょうか。ふと何年か前に山村の無住寺で苔むした墓に「ニューギニヤにて戦死」という碑銘を見たことを思い出しました。
昨夜は質疑応答の内容が深く、リアルタイムで感想がまとまりませんでしたが、
・テルミンの歌、面白いなあ
・語彙が難しいなあ(「うつしかる」「おだしく」「こほしかる」など)
・もし米川が戦後も生きていたならば、戦中の自身の歌をどんな風に評価しただろうか
というようなことを考えていました。
来年もまたどうぞよろしくお願いいたします。
追記・奥村晃作さんのお話の最中でしたか、猫がしきりに鳴いていたのが愛らしかったです。
語彙は確かに難しいですね。近代歌人の中でもやや古風かなという気がします。「うつしかる」は「現し」で「この世に生きている」、「おだしく」は「穏し」で「穏やかに」、「こほしかる」は「恋ほし」で「恋しい」という意味。ひらがなで書かれていることもあって、一読ではちょっと意味が取りにくいですね。
今日も米川稔について少し調べていて、東京の日本近代文学館に、木俣修という歌人(「多磨」の会員)に宛てた葉書が一通あるのを見つけました。いつか現物を見に行こうと思います。