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作者は生後6か月の時に、産婦人科医で歌人でもあった父、林霞舟ともに樺太の真岡に渡り、戦後に引揚げて来られた方。その後、医師となり88歳の今も現役で働いている。
貨車に乗りて豊原(とよはら)目ざす難民の少年として死を覚悟せる
自動小銃の音甦る老の夢八月二十日は忌はしき日ぞ
セピア色の写眞見つめて語り合ふ故郷眞岡を奪はれし日々を
『ホルムスクの夕日』(2016年)
70年以上が過ぎても、昭和20年のソ連軍の樺太侵攻の記憶が薄れることはない。ますます懐かしく故郷のことを思い出すのである。
林田恒利(1914‐1996)・林田恒浩(1944‐)、林霞舟(1905‐1988)・林宏匡(1934‐)は、ともに親子二代の歌人で樺太から引き揚げてきたという共通点がある。
それだけではない。林田鈴(恒浩の母、歌人)のエッセイ集『忘却のかなたから』には、こんな話が載っている。
また真岡町の病院長である婦人科の林霞舟氏のお宅も近くにあった。真岡町には歌会等もあって、それにも私は出席したことがある。(…)私は、真岡町病院で、林院長先生より診断をいただき「おめでたです」と言われ、翌十九年夏に長男を生んだのである。
つまり、林田恒浩さんは樺太の真岡町の林霞舟の病院で生まれたのであった。