2022年07月20日

「短歌往来」2022年8月号

林田恒浩の作品「いまは異国の」33首を読む。

国境にちかき恵須取は燃ゆ戦車隊は襲ひかかれりかの夏の日に
             (恵須取・ウグレゴルスク)
三千人のロシアの兵が上陸したるふるさと眞岡 忘るるなかれ
             (眞岡・ホルムスク)
豊原まで追ひつめられて投降したり父は小さき白旗をかかげて
             (豊原・ユジノサハリンシク)

林田さんは昭和19年樺太の生まれ。ロシア軍のウクライナ侵攻を見て、昭和20年の樺太の様子を思い出しているのだ。もちろん、赤子だったので覚えているわけではないが、両親などから聞かされた話なのだろう。

「虜囚」とはとらはれ人のことなりて白夜を詠ふ 父のおもひは
日の丸を焼きし日あれば抑留のさま父はかたるなし口をふさぎて

終戦後、王子製紙に勤務していた父は3年間に及ぶ抑留生活を送る。
生き延びて家族と再会できたのは、昭和23年のことであった。

作者の父、林田恒利は「多磨」(のちに「形成」)に所属する歌人でもあった。

喚(わめ)きつつ伐採のノルマにいどみゐし童顔の兵も還るなかりし
         『火山島群』(昭和39年)
国の旗焼きてソ聯軍をむかへたる日の傷み歳月のなかに重たし
         『木香』(昭和50年)
白旗をかつてもちたる掌(てのひら)をつらぬくこゑぞ野の鵯は
老いづきてけふ病むことも抑留の日にかかはると思ひ悔しむ

3年間に及ぶ過酷な抑留と強制労働は、恒利の心と体に生涯消えることのない傷を残したのであった。

posted by 松村正直 at 18:29| Comment(0) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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