2009年に集英社から出た本の文庫化。
明治から昭和にかけてシベリア鉄道でヨーロッパに渡った三人の女性(与謝野晶子、宮本百合子、林芙美子)の足跡をたどりつつ、日本からパリまでの旅をする評伝紀行。
ウラン・ウデを出てしばらくすると、突然、広い水面が見える。まさか、海のはずはない。ああ、これがバイカル湖か、と胸が躍る。青灰色の水が波立っている。琵琶湖に似ているが、どうして大きさがその比ではない。水面はなんと三時間、車窓に見えつづけた。
ダーチャというのは、ロシア人の多くが持っている簡単な建物付きの小農地である。夏の別荘と訳される場合もあるが、多くの場合、人びとは夏の間そこで畑を耕し、太陽の光を浴び、人によってはサウナ小屋の中で石を焼き、それに水をかけてサウナを楽しむ。
いったいモスクワには「何々の家(ドム)博物館」がいくつあるのだろう。そしておばあさんの解説員はどれくらいいるのだろう。どの人も威厳と学識があって、こんな人気(ひとけ)のない所に置いておくのはもったいないようだった。
東欧のどの国を歩いても、その過酷な現代史に胸をふさがれる。ナチス・ドイツが処刑しなかった活動家も、ナチスの作った調書によってリストアップされ、社会主義政権によって命を奪われたケースが多い。右であれ左であれ、全体主義は自由を求める人々を嫌う。
ソ連が解体して15年後の2006年当時のロシアの状況も随所にうかがえる。ソ連時代には否定されたロシア帝国時代のものが様々な形で復活を遂げている。
ソヴィエト時代あれほど弾圧されたロシア正教が息を吹き返し、人心をつかんでいるのは驚くほかはない。人は、とくに年老いた婦人たちは何かすがるものがなくては生きていけないのか。いや、ソヴィエト時代は「社会主義」というこの国の宗教に人々はすがっていたのだった。
スヴェルドロフスク駅。ニコライ一家を殺した町に、殺す命令を出した張本人の名がある。そのうち変わるのではないか。
作者が予想している通り、革命家スヴェルドロフスクの名が付いていた駅は、2010年に元のエカテリンブルク駅に改称されている。エカテリンブルクはエカチェリーナ1世にちなむ名前なので、革命家の名から皇帝の名に戻ったわけだ。
シベリア鉄道、一度乗ってみたいな。
与謝野晶子、宮本百合子、林芙美子の短歌や小説、日記、書簡なども多く引用されていて、3人の魅力がよく伝わってくる。それぞれの作品をさらに読んでみたくなった。
2012年3月25日、集英社文庫、781円。