2022年06月05日

大下一真歌集『漆桶』


2013年から2018年までの短歌449首(反歌2首を含む)と長歌2首を収めた第7歌集。あとがきに「五百余首の短歌」とあるが、何かの間違いのようだ。

各連作は、2首、5首、8首、11首と、小題を入れて3首組の倍数になっているものがほとんど。そのため、ページに空きがなく歌が組まれている。

追憶となればなべては美しというにもあらず酔芙蓉咲く
喪中葉書三十余通手に乗せてみればさしたる重さならねど
掃くわれを墓石に止まり見ていしがつまらなそうに鴉の去りぬ
人生に百五歳あり一歳あり新盆の経たんたんと誦す
卒塔婆にゆわえられたる鯉のぼり夕べゆらぐは童子の笑むや
どこへ行くのどこへ行くのと問われつつ車椅子押す夕ぐれありき
支え合うゆえに「人」とぞ教わりてあるいはぶつかる形とも見ゆ
おさな子が落として泣きし五円玉探しに来たるようなふるさと
歴代の住持の位牌拭き終えて二十九世住持は背伸びす
暁をふたたび雨の降り出でてかなかなの声消さぬ静かさ

1首目、追憶は美しいという一般的に流布しているな観念を覆す歌。
2首目、30余名の人たちの命の重さだと思えば、ずっしりと重い。
3首目、境内の掃除をしている自分を、鴉の目線で描き出している。
4首目、105歳で亡くなる人も1歳で死ぬ子もいる。それぞれの命。
5首目、幼いうちに亡くなった男の子の墓。鯉のぼりに哀切が深い。
6首目、認知症の母の思い出。車椅子に乗る人には後ろが見えない。
7首目、実際に支え合うこともあればぶつかり合うこともあるもの。
8首目、故郷の懐かしさと哀しさ。昔に帰ることは誰にもできない。
9首目、「二十九世住持」は自分のこと。長い歴史の重みを感じる。
10首目、かなかなの鳴き声と細い雨音が、静寂を引き立てている。

お寺の住職ということで、庭を掃いている歌と経を読んでいる歌がたくさん出てくる。ユーモラスな詠みぶりの歌も多いが内容は軽くなく、生や死について考えさせられる。そのあたりのバランスの良さが持ち味だ。

2021年7月2日、現代短歌社、3300円。
posted by 松村正直 at 13:48| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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