本合海を過ぎて八面山を廻る頃、女三人にてあやつりたる一艘の小舟、川を横ぎり来つて我舟に漕ぎつくと見れば、一人の少女餅を盛りたる皿いくつとなく持ち来りて客に薦む。客辞すれば、彼益々勉めてやまず。時にひなびたる歌などうたふは、人をもてなすの意なるべし。餅売り尽す頃、漸くに漕ぎ去る。
舟下りをする客相手に商売をする舟の様子である。江戸時代に淀川の枚方付近で多く見られたという「くらわんか舟」を思い起こさせる。現代でも、保津川の川下りをすると終点付近でこうした舟が来る。今は観光用といった感じだけれど、昔はもっと生活感があったのだろう。そう言えば、タイの水上マーケットに行った時も、舟で淹れたコーヒーを買って飲んだ。
続いて、秋田県を歩いている場面。
夕日は傾きて本山の上二、三間の処に落ちたりと見るに、一条の虹は西方に現はれたり。不思議と熟視するに、一条の円虹僅に両欠片を認るのみにて、其外は淡雲掩ひ重なりて何事も見えざりき。こは普通の虹にはあらで「ハロ」となん呼ぶ者ならんを、我は始めてこゝに見たるなり。
「ハロ」(halo、日暈、白虹)の目撃談である。こうした科学的な目も持っているところが、子規の紀行文の多面的な面白さにつながっている。