当時の和人はアイヌ民族を「滅びゆく民族」と考えていて、遠からず人種・文化・言語・風習・宗教などすべてにおいて和人への吸収・一体化がなされるものとしていた。そしてそれを「同化」という言葉で語った。一方、アイヌの言論人たちは「同化」を和人とは異なった意味に捉えていた。「同化」とはすなわち和人との平等化・対等化であると考え、仮に容貌・風習・言葉を失ってもアイヌ民族であるとの意識を将来にわたって保持することを前提としていた。
アイヌ民族として言うこの「同化」には、もうひとつ、近代化の意味も含まれていた。それが教育・禁酒・生活・衛生面で改善の意味を持つ「同化」であった。このようにアイヌの人々にとって「同化」とは対等化と近代化という二重の意味、多重の論理を持っていたのである。
つまり、和人とアイヌ民族では、同じ「同化」という言葉を用いていても、認識や理解に大きなズレがあったということだ。これは非常に大切な点であると思う。
また、近代のアイヌ民族にとって大きな問題であった「キリスト教」「教育」「同化政策」などについても、非常に説得力のある論が示されている。
当時のアイヌの人たちにとってキリスト教に入信するということは、日本政府による強制同化とは異なる近代化≠ノ身を委ねようとすることであった。
アイヌ民族の名だたる論者は一様に「教育」の重要性を説いた。アイヌ民族にとって、教育とは和人との対等化を実現し、近代日本を生き抜くためのいわば唯一の抵抗の手段であった。ところが和人施政者にとってアイヌ民族教育とは、アイヌの人たちを日本に同化させるための統治の手段でしかなかった。
日本人は、建前上は「われわれ日本人」に組み入れながらも、本音ではアイヌ民族を域外の異民族として「純粋な日本人」とは認めていなかった。その一方では社会的差別を内包した強制同化によってそうした状況の早期解決を図ろうとしたわけである。日本の同化政策とは、このように、「包摂」と「排除」、あるいは「同化」と「異化」が混在・併存し、建前と本音で都合よく使い分けられた政策であった。
これらはアイヌ民族に対してだけでなく、戦前の台湾や朝鮮半島などの植民地における政策や、現在の在日外国人や外国人労働者への対応などにもつながってくる問題と言っていいだろう。