2022年03月16日

田村穂隆歌集『湖(うみ)とファルセット』(その2)

無傷って言うときひとつめの傷ができる気がする 僕は無傷です
はつふゆの日が差すシンク手もそして心も米に研がれるような
文芸部部室へと差す西陽ごと図書館棟は解体される
剥き出しの肉だ、朱肉は。ゆっくりと苗字を肉に沈めていった
毛づくろいにも息つぎが必要で猫のせなかに波打つひかり
朝靄に空と湖面が繋がったあの日からもうずうっと眠い
明太子、とても美味しい。産まれたい気持ちが口の中にあふれる
両脚にこころを溜めて人間はすこし身じろぎできるだけの樹
折り鶴は肉を持たない鶴だから風にしゃらしゃら鳴らすたましい
ぬらぬらと胃に赤い毛が生い繁り本当はずっとあなたが怖い

1首目、本当に傷ついていないのならば「無傷」と言う必要もない。
2首目「研ぐ」ではなく「研がれる」。削られていくような気分だ。
3首目「西陽ごと」がいい。思い出やそこで過ごした時間もすべて。
4首目、朱肉に印鑑を押し付ける感覚が生々しい。「苗」も効果的。
5首目、猫の動きがありありと見えてくる歌。上句に発見がある。
6首目、過去に起きた出来事が何か決定的な変化をもたらしたのだ。
7首目、明太子の一粒一粒がまるで孵化するような感触を味わう。
8首目、人間と樹は案外近い存在。何かにじっと耐えているような。
9首目、肉がないからこそ純粋に魂が輝く。人間はそうはいかない。
10首目、仲の良い相手に対してでも、どこかに怖れや怯えが残る。

ところどころに宍道湖や古墳など地元島根の風土を感じさせる歌がある。また、毛・ひげ・声・喉など、性徴に関する歌も多い。そうした意味でも『湖とファルセット』は良いタイトルだと思った。

2022年3月1日、現代短歌社、2000円。

posted by 松村正直 at 08:12| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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