2022年02月25日

ドキュメンタリー「三十一文字を歌う」

27日まで開催中の2021年度立命館映像展オンラインで、GE Zhiwei(葛志偉)さん制作のドキュメンタリー「三十一文字を歌う」(70分51秒)が公開されています。

「壱」(0:00〜)「弐」(30:55〜)「参」(45:10〜)の三部構成で、それぞれ承香院さん(国風文化実践研究会)、堀田季何さん(俳人、歌人、詩人、翻訳家)、私が出演しています。

立命館映像展オンライン
http://www.ritsumei.ac.jp/cias/exhibition2022/#1
「三十一文字を歌う」
https://www.youtube.com/watch?v=w9fnOKeDZXw

和歌・短歌の世界の幅広さと奥深さが感じられる作品になっていますので、ご興味のある方はどうぞご覧ください。

posted by 松村正直 at 19:32| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。「三十一文字を歌う」を拝見しながら、現代短歌と古典和歌ということについて考えていました。
私はどちらかと言うとかなり古典和歌側の人間で、現代短歌がしばしば韻律に対して無頓着で愛唱性に欠けるとか、鑑賞するのに詠み手の内面の奥深くまで入って行かねばならない(←かなり偏見が入っています)などの理由で、現代短歌はずっと敬遠していました。
いっぽう最近ある古典和歌のコンクールの入選歌集を見る機会があったのですが、全編に亘って古典和歌が並んでいるのはこれまたシンドく、誤解を懼れずに言えば、甚だ不健康なものを感じてしまいました。
ドキュメンタリーの中で堀田季何さんがおっしゃっていた「千何百年前と同じものを創っても意味がない」というのは、「歌よみに与ふる書」もそうだったのでしょうが、まさにその通りだと思います。
同じ堀田さんのコーナーで国際タンカ協会の結城会長がおっしゃっていた、例えば英訳の際そもそも英語と日本語は言語体系が違うのだから、自然な英語であるのが良い(五七五七七の音節に拘らなくても良いの意に受け取りました)というお話は、なるほど詩歌というものはそういうものなんだなあ、と思いました。
そう考えてみれば、古典和歌よりも韻律から自由な現代和歌(前衛和歌を含む)のほうが、翻訳作業との相性は良いのかも知れません。
長文失敬しました。明治天皇陵は行ったことがないので、陽気が良くなったら参拝してみようと思います。
Posted by 小竹 哲 at 2022年03月03日 08:45
小竹さま
「三十一文字を歌う」ご覧下さりありがとうございます。自分の部分はともかく他の二人の方の話がどちらも興味深かったです。日本人もあまり知らない世界を留学生の眼でよく捉えていて、印象的な作品に仕上がっていると思いました。
Posted by 松村正直 at 2022年03月03日 23:41
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