副題は「内田百閧ニ宮脇俊三を読む」。
鉄道紀行文の二大巨頭とも言うべき二人を取り上げて、その人生や文章の魅力を解き明かしている。
「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」 内田百
「鉄道の『時刻表』にも、愛読者がいる」 宮脇俊三
鉄道紀行ファンなら誰もが知っているこの二つの文から、本書はスタートする。
変化を好まない百閧ニ、変化を受け入れ、味わう宮脇。それは、生まれた時代の違いと言うこともできよう。百閧ェ生きたのは、戦争を挟んでいたものの、鉄道が勢いを持ち、その路線を延伸していた時代だった。(…)対して宮脇は、鉄道斜陽の時代を見ている。
百閧ノとっても、宮脇にとっても、鉄道こそがエネルギーの源だった。そんな鉄道に乗っている時に、酒が進み、食が進むのは当然だったのだろう。(…)百閧煖{脇も、酒を生涯の友とした。鉄道に乗ることが叶わなくなった後も、二人は酩酊の中に、列車の揺れを感じていたのであろう。
二人の先達に対する愛情と敬意が随所に感じられて、読んでいて何だか嬉しくなる。
鉄道好きはターミナル駅に対して、特別な思いを抱くものである。ローカル線の端っこの駅にある素朴な車止めであっても、大きなターミナル駅における頭端式ホームの車止めであっても、そこで途切れる線路からは、「もうおしまい」という寂しさと、「ここからスタート」という希望とが感じられるのだ。
鉄道は、自動車のように好きな時間に出発して、好きな道を進むわけにはいかない。線路とダイヤグラムによって二重に拘束される運命にあるが、鉄道好き達はその拘束の中でどのように自分の意思を貫くかを考えるところに、悦びを感じるのだ。
作者も大の鉄道ファンだけに、こうしたファン心理の分析にも鋭いものがある。
2021年5月28日、角川書店、1500円。
・大正11年8月宮津・天橋立方面に遊びに行った時は、まだ宮津線が開通しておらず、宝塚から新舞鶴(現・東舞鶴)行の汽車に乗って舞鶴(現・西舞鶴)駅で下車、軽便鉄道に乗り換えて終点の海舞鶴駅(舞鶴港駅→廃止)から船に乗って行った。
・大正15年宝塚から奈良県の月ヶ瀬に梅を見に行った時は、参宮線の伊賀上野で下車、軽便鉄道(現・伊賀鉄道伊賀線)で宿を取っている上野まで行こうとしたが、終電が出たあとで雪の中を17丁歩き、翌日乗合の幌自動車で月ヶ瀬に向かった。
すみません、鉄ちゃん魂≠ノ火がついてしまいました(汗)。
「拘束の中でどのように自分の意思を貫くか」、まさに歌詠み魂≠ナすね。
「拘束の中でどのように自分の意思を貫くか」は、確かに短歌と共通点がありますね。短歌も定型という縛りがあることで、かえって自由になれたり個性を発揮できたりします。
私も鉄道は好きな方で、昨日も1時間40分の演劇を見るために、片道約4時間かけて普通列車で山陰線の江原駅まで往復してきました。
福知山線で言えば、宝塚の拙宅からハイキング道として数年前に整備された旧線跡を武田尾駅まで徒歩で約1時間40分です。途中いくつもトンネルがあり、最長のものは400メートルあるそうで、しかもS字にカーブしているため懐中電灯は必携ですが、渓谷沿いには水上勉の小説『櫻守』の舞台になった「桜の園」もあります。こちらに来られる機会がありましたら、ぜひ足を運んでみてください。
私も特急料金を節約するために普通列車で往復したのです。
福知山線の生瀬〜武田尾の旧線跡には3年前に行きました。トンネルや橋を通ることができて、非常に魅力的なコースですね。