2022年02月21日

歌に流れる歳月

一人の歌人の歌を読み続けていると、歌の中に流れる歳月を感じる。最近、歌の良し悪しとは別にその歳月の重みに感じ入ることが多い。

ウォークラリー「武蔵野十里」は出発すひたぶるに動く足を集めて
小学校卒業記念に父と歩く四十キロはいかなる距離か
しみじみと武蔵野十里あるく日に志野は大きくなりてをりけり
      小池光『草の庭』(1995年)「武蔵野十里」
ウエディング・ドレスまとひて志野が来るこの現実をなんとおもはむ
癌を病む母にみせむと結婚式ひたいそぎたるふたりのこころ
武蔵野十里ともに歩きし日はきのふ小学六年の春休みなりき
      小池光『思川の岸辺』(2015年)「婚」

それぞれ1992年と2010年の歌である。小学6年生だった次女が、18年後には結婚式を挙げている。しかも、妻は癌を患っているという状況だ。45歳だった小池も63歳になっている。

一緒に「武蔵野十里」を歩いたのは「きのふ」のことのように思えるけれど、実際には18年もの歳月が過ぎている。そして、過ぎた時間は二度と戻ることはないのだ。

posted by 松村正直 at 08:39| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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