「塔」の作者の第1歌集。515首。
草木に関する歌と絵画、音楽の歌が多い。
おほたかの営巣ありし樹を指してなほ棲めるがに声低くいふ
改訳といへど史実に変はりなく冬の書店に並ぶ『夜と霧』
戦歴のこぼれ読めざる六文字を○印とし墓碑写し終ふ
上の子の歯型ちひさく残りたる笏(しやく)見遣りつつ雛を並べぬ
採り来たる秋野の草の種子(たね)収め古封筒の角を折りたり
ベルリンの壁とて夏に子のくれしあをき欠片が歌集と並ぶ
桃と桜ふたつの組の幼らが開門式のテープを切れり
子の文字で「なにかのたね」と書かれありバウムクーヘンの箱のおもてに
ここからはもつと寂しい川である水鳥の名をいくつ挙げても
厚紙の建築模型をたどりつつ現存せずとあるをまた読む
君のこゑが雪と言ひたり覚めやらぬままになづきの仄か明るむ
棚に遺る絵具の瓶の大小に仄けく緑青(ろくしやう)、白群(びやくぐん)透ける
連翹にやまと・てうせん・しなありて大和のちさき花を思ふも
幾振りの刃文(はもん)を見たる帰るさの堤くらきにびはの咲きをり
びはの実のつかのま見えて緑濃き君が旧居のまへを過ぎたり
1首目、貴重なオオタカの繁殖地。小声で言うのが癖になっている。
2首目、ナチスの強制収容所体験を記した本。上句に発見がある。
3首目、戦死した伯父の墓。墓碑を写すという行為に思いがこもる。
4首目、赤子だった頃に嚙んだのだろう。毎年見るたびに思い出す。
5首目、保存用に古い封筒を再使用する。結句の具体が効いている。
6首目、ドイツ旅行の土産だろう。本棚に置かれているのが面白い。
7首目、桃組と桜組。セレモニーの晴れやかな感じがよく出ている。
8首目、子がまだ小さかった頃のもの。「バウムクーヘン」がいい。
9首目、上句は川の風景とも取れるし人生の比喩のようにも読める。
10首目、設計段階で作られた模型が、建物よりも長く残っている。
11首目、まだ寝床にいる時に聞こえる声。脳裏に雪景色が広がる。
12首目、亡くなった日本画家の遺品。残った絵具に存在感がある。
13首目、「大和」「朝鮮」「支那」という名付けに時代を感じる。
14首目、刀剣展を見た後の余韻に深く浸りつつ景色を眺めている。
15首目、君がいなくなった後も変らずに季節が来れば実を付ける。
こうして読んでみると、今はもう無いもの、失われてしまったもの、過ぎ去った出来事、についての歌が多いことに気がつく。そうしたものを思い出し、振り返り、愛おしみ、記憶にとどめるために、作者は歌を詠んでいるのかもしれない。
2021年11月23日、青磁社、2800円。