著者と妻で歌人の満岡照子は多くの和人をアイヌ集落に案内しており、白老のキーパーソンとも言える存在である。
オハウと云うのは魚の塩汁の事で、普通魚肉と野菜を一緒に煮て塩味を付けたものである。(…)北海道の三平汁は北海道の名物になって居るが、畢竟アイヌのオハウである。
進歩と変化のない、彼等の社会では、何と言っても老人は、物知りであり経験者である。総ての行事は皆、老人の指揮指導をまたねばならぬことばかりで、老衰しても、家長として、村の元老として貫録を保ち、周囲の尊敬を受けている。
道内到る所にベンケの地名がある。之れも弁慶の遺跡の様に伝えるが、アイヌ語のベンケは上、バンケは下の意で、弁慶とは何等関係がない。
数十年前彼等は内地人の赤児を喜んで貰い育てる風があった。内地人も又種々の事情から赤児をアイヌに呉れる事が往々あった。其の児は純血の内地人であるが、彼等の家庭では実施同様に取扱うので、結局言語、習慣、食物等も全然アイヌと同一である。
普通の熊狩は積雪のある早春の頃で、熊が逃れても雪の上に残る足跡と、猟犬の臭覚とで所在を突止める事が容易である。それで強いて強い毒を用いず毛皮、肉に影響ない程度に加減した適当のものを使用する。
どの話も非常に詳しく記されていて、著者のアイヌ文化に対する理解の深さやアイヌの人々との交流の深さを感じさせる。
序文に
北海道三百万の住民中二万に足らざるアイヌ人は、内地人に同化され、アイヌ古来の特殊の風俗習慣は日に月に廃れ、今後数年ならずして全く其の足跡をも存せざるに至らんとするを惜み、後日実家の参考ともならんと順序もなく筆記し置けるもの。
とあるように、著者の基本的な考えは、アイヌ文化は内地人への同化によって早晩廃れていくので、せめて記録に残しておくというものだ。題名の「アイヌの足跡」も、そうした考えに基づいて付けられている。
こうした姿勢は現在では「サルベージ・エスノグラフィー」として批判を受けることもある。著者が同化政策の片棒を担いだという見方も当然できるだろう。非常に悩ましい問題であるが、それでも、この本の持つ価値は変わることはないと思う。
1924年10月15日初版、1987年2月1日第8版増補。
財団法人アイヌ博物館発行。