幹に摑まる力の尽きるときが死と知るはずもなく蟬らは鳴けり手も足も律儀に揃へ仰向きて蟬が死ぬなり晩夏の庭に 永田和宏『置行堀』
木につかまる力を失ったセミは地面に落ちる。飛ぶ力を失ったセミにできることは、ただ地面にひっくり返っていることだけだ。わずかに残っていた力もやがて失われ、つついても動かなくなる。 稲垣栄洋『生き物の死にざま』
蝉の死に方が自然化学的にどうのということと、並列しても、歌を深く読むこととは全く関係ない。
永田さんは癌で妻を亡くして、その個人的な死を蝉に重ねて見つめている。
だから小さい命でも足を揃えている所などが
哀れでいたましく見える。
自分と切り離した死を考えるのが自然化学。
自分と関係した、一人称の死を歌うのが上の歌集。
以上の感想を持ちました。
伝わらないと思いますが。