明けがたにいちど目覚めてゐたことは言はないでおく まぶしい部屋だ
並ひとつたのめば愉し今ここに食べる十個の寿司のつやめき
投げをへしいきほひのままに寝ころべば視線の先にピンが吹き跳ぶ
屋上へ干しにゆかむと掛け布団敷き布団あたまに載せてはこびき
きみはうな丼ぼくはうな重むきあつて食べる柳の窓を見ながら
ざれあひて二頭のらつこ絡まれるひとつ水槽をしばらく見ゐつ
暴力はすなはち人をかたくするたつた一度の暴力なれど
窃盗の父をむかへに行きしとき橋の往来に雪ながれをり
まづしさに母が買ひたる真つ赤なるリュックサックわがために、ちひさき
三人くらゐは食べるだらうといふ判断にライス小来る三人で食ふ
1首目、目が覚めたけれども何か理由があって寝たふりをしたのだ。
2首目、並でも十分に美味しい。「つやめき」まで言ったのがいい。
3首目、ボーリングをしているところ。動画を見ているような迫力。
4首目、子どもの頃の暮らしの思い出。「あたまに載せて」がいい。
5首目、同じものでも全く違うものでもない。君との微妙な距離感。
6首目、ラッコは交尾する時にオスがメスの鼻を嚙むのだと聞く。
7首目、暴力を振るわれたことのある人は身体がこわばってしまう。
8首目、忘れることのできない記憶。下句の風景が刻まれている。
9首目、それでも嬉しかったのだ。哀しみと深い愛情を感じる一首。
10首目、飲み会ではこういう注文の仕方をすることがよくあるな。
「もう何も言へなくなつてひたすらにご飯を詰める胸の奥から」という歌もある。作者はきっと何も言えなかったり、心が虚ろだったりすると、その代わりにたくさん食べるのだろう。食べることは作者にとって喜びであるとともに、慰めでもあるのかもしれない。
2021年12月25日、現代短歌社、2200円。