わが足はかくこそ立てれ重力(ぢうりよく)のあらむかぎりを私(わたくし)しつつ
惑星は軌道を走る我(われ)生きてひとり欠し伸せんために
森鷗外はこんなふうに「重力」「惑星」といった言葉を歌に詠んでいる。(旧派)和歌は原則として和語だけを用いて詠むもので、漢語の使用は排除されていた。それが新派和歌(短歌)においては漢語も取り入れるようになった。
もともと「和歌」(日本の歌)というのは「漢詩」(中国のうた)に対する言葉である。けれども、和歌革新運動以降の「和歌」の対抗する相手は「漢詩」から「西洋詩」へと変った。
「漢語」と書くと中国を思い浮かべてしまいがちだが、「重力」も「惑星」も1800年頃に長崎のオランダ通詞によって造られた西洋語の翻訳語である。つまり、「重力」や「惑星」は見かけこそ漢語であるが、実質的には西洋語なのだ。
Wagnerはめでたき作者ささやきの人に聞えぬ曲を作りぬ
この歌では「Wagner」という西洋語をそのまま歌に取り入れている。現在では「ワーグナー」とカタカナで表記されることが多いが、いずれにせよ翻訳不可能な固有名詞なので西洋語をそのまま使うしかない。
おそらく、鷗外の意識においては「重力」「惑星」も「Wagner」も、同じ範疇の言葉だったのだろう。見た目では「漢字」と「アルファベット」という違いがあるけれど、どちらも西洋由来の言葉という点で共通している。